安倍総裁の祖父岸信介は、新安保条約を結んだ人であり、世間的には対米隷属と見られがちですが、
実は不平等な条約改善にチャレンジし、対米自立で暗闘した人ではないかという肯定的見解になっており、
安保騒動は、岸信介を快く思わない米国や財界の工作活動が、
左翼連中に資金工面して煽った結果ではないかという面白い見解を述べていますね。
(エジプトやチュニジアのパターン)
並の首相だと米国の妨害が入ると簡単に転覆しちゃうのですが、
岸信介の場合は官僚にシンパが多くて防御が堅かったらしく、
普通の工作では無理で、アラブの春みたいな騒動を煽らないと無理だったのかもしれません。
良くも悪くも清濁併せ呑む器だったのではと思います。
注:岸信介の私邸が左翼のデモ隊に囲まれていた時、子供だった安倍晋三は一緒にいた。
どうやら左翼に嫌われる家系らしいw
日米安保条約に反対するデモ隊数千人が当時の岸信介首相の私邸を取り囲ん だとき、5歳の安倍氏が祖父の岸氏のヒザに座っていたという話はよく知られている。 60年安保闘争の最中、当時5歳の安倍さんと実兄の寛信さん兄弟、そして母親の安倍洋子さんが、デモ隊が包囲する渋谷・南平台の岸信介邸での思い出が記されています
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6月15日と18日には、岸から自衛隊の治安出動を打診された防衛庁長官・赤城宗徳が拒否[23]。安保反対のデモが続く中、一時は首相官邸で実弟の佐藤栄作と死を覚悟する所まで追いつめられたが、6月18日深夜、条約の自然成立。6月21日には批准、昭和天皇が公布した。新安保条約の批准書交換の日の6月23日、岸は閣議にて辞意を表明、7月15日、混乱の責任を取る形で岸内閣は総辞職した。
この総辞職の一日前の14日、岸は暴漢に刺され、瀕死の重傷を負っている。
岸は「安保改定がきちんと評価されるには50年はかかる」という言葉を残している。岸が取った一連の行動については、文芸評論家の福田和也などが「本物の責任感と国家戦略を持った戦後唯一の総理」として高く評価している。
この項は後日また別ぺージで詳しく掲載します。
マスコミが一様に安倍さん嫌いな理由
マスコミが一様に安倍さん嫌いな理由である 放送法改正案に関してはこちら。
本当はマスコミ在日支配体制を終わらせるための日本国民にとって大光明なんです。
http: //www15.atwiki.jp/houdou/pages/35.html
安倍前政権時に衆院に提出され、
継続審議となっていた放送法改正案は マスコミによる政権たたきで総理退陣後、
捏造(ねつぞう)番組を流した放送局に対する行政処分の規定を削除された。
修正案は民主党も受け入れ、 結果的に安倍総理が目指した罰則規定はないまま 。
つづきは → こちらへ