<ある奥様の報告>
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気になって、月曜に商業街みてきました^^;
どの店にも毛沢東が貼られて、正直、文革を連想させるうすら寒い感じがします。
あと、商業街には、蘇州弁とは別の強いナマリのある奴らが暴れていたそうです。
近所の●●社の駐在員△△さんは、暴動直後に写真撮影に行ったそうですが
「先頭集団が印をつけた店だけを襲撃していたらしい」
「両脇が破壊されてても、印のない店はまったくの無傷だった」
「毛沢東の写真は、破壊組が置いて行った」
「地元の子が、バスで連れて来られた連中が暴れたと言ってる」
という話でした。
事実、私が見て歩いたところでも
(日系資本ではない店舗は)銀行も貴金属店も煙草屋、CDショップ、公衆トイレまで無傷です。
以下、自転車で流し見て来た観察ですが……
・中国人経営者の店ながら、日本人を意識したオーダー服屋はショウウィンドウ1枚割られて略奪なし。
・中国人経営の日本料理メニューのある飲食店は1F壊滅。
・中国料理店の日本語ネオン文字や看板は破壊。店内は無傷。
・唯一の日本人経営の「むさし野」は執拗に襲われ、3階まで入られて徹底的に破壊。
という感じです。
あと、私的な見解および確認不能な情報ばかりですが^^;
<商業街>
・デモ隊の暴れ方があまりに激しく、蘇州人唖然。
混ざる事も出来ず、遠巻きにぞろぞろついて回る。
・デモ隊は商業街の南から入り、北に抜けたが、南のT字路には
国慶節後に移転開始となる日本語学校の新校舎があるが無傷。
・南から順に破壊が始まるが、中央エリアに位置する「むさし野」で暴動最高潮となった後も
決められたように破壊の程度に差があり、
(破壊停止を指示するタイミングなど)明らかに選別している。
・印と日本語以外を破壊すると、同じグループの人に制止されていた。
<行動面>
・商業街から現日本人学校に続く道沿いの日本語ネオンや日系スーパー店は目もくれず。
・デモ隊は、商業街を破壊後、歩いて現日本人学校前に移動。シュプレヒコールなし。
暫く門の前居たが土曜で無人だったためか、「日本人学校」の日本の文字だけ消すように落書き。
ちかくの日系百貨店泉屋に向かい、シャッターを下ろしていたにもかかわらず襲撃・破壊。
・破壊活動は一部の「暴徒」が行ったが、略奪いっさいなし。
悪乗りした蘇州人が一部しっけい程度。
・警察は通報を受けて、別のデモ地の勧善街から移動してきた。
(日本人学校に入っていた当日のデモルート予告は中心街の観光地「勧善街」)
・バスから降りてきたグループだけが暴れていた。
<人間像>
・襲撃隊はジモピーが武漢ナマリ?重慶ナマリ?と
イロイロ言っていたが、蘇州人とは明らかに違う。
・襲撃隊は、目つきが異様でちょっと薬で飛んでそうな風貌のヤクザ。
明らかに組織。でも軍的ではない。
・襲撃後~翌日。同じく目つきの鋭い男性が多数徘徊。
こっちはたぶん私服警官。挨拶すると微笑む。
・襲撃時、蘇州の人は異常を感じていて、取り巻く野次馬のようになって止めず傍観。
煽るでもなく直接破壊にも手は出していないが、日本人を擁護すれば、
自分たちが狙われる知れないので、関わらないようにしていた。
騒動がデモと判り、黙って後に続く。
・翌日曜日も「動員されたやから」が残って獅山路付近を徘徊。
しかし翌日から姿を見ず。
<その他>
・月曜日は蘇州人が「動員された人」と言っていたヤクザの姿は無くなっていたが
蘇州新区は人の姿も少なく、明らかに異様な雰囲気。
でも翌火曜日は早朝から街の雰囲気が普段通りに戻る。
理由を尋ねると「動員された人」が帰ったためらしい。
それでホッとしたとの事。
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