寛解導入療法と記憶の欠如 | 神様のハードル~急性前骨随球性白血病になって~

神様のハードル~急性前骨随球性白血病になって~

鬱病と診断されて二年半。
寛解を経て就職して1ヶ月。
急性前骨髄白血病になりました。

その記録を、できるだけ日々綴ります。

入院から三日間くらい、私の記憶はとても曖昧です。
部屋に入って、着替えて、必要なものを引き出しや机にセットして、親とおしゃべりしていました。
一度親が荷物を取りに家に帰ったときに、友達に入院することになったと連絡をしたのは覚えています。

夜近くになって親とKさんが来て、それでもまだ何の実感もなくて、夜に先生から今後の説明がありました。

骨髄液を見たところ、急性前骨髄性白血病に間違いないこと。
芽球と呼ばれる悪い白血球がとても多いこと。
まず寛解導入療法を行い、寛解に至ったら地固め療法に入ること。地固めは何度かに分けて行い、成功したら入院から通院に変わること。
そして、「いつ、いま、死んでいてもおかしくない、そんな状態にいると把握してください」と言われたこと。

ここまでは覚えています。
そこでKさんを見た事。
初めてどういう状況かを理解して、怖くなったこと。
入院日数が長いこと。
猫たちをどうしよう、会社はどうなるんだろう、早期再就職手当はどうなるんだろう。
もし15日まで病院に行かなかったら、Kさんを一人にすることになっていたかもしれない?

親とKさんが帰って、ここまでずっとへらへらしていたのに、急に泣けて来ました。夜中に婦長さんが様子を見に来て、泣いている私を励ましてくれた事は曖昧に覚えています。

翌日か翌々日か…血小板の輸血中に高熱が出て涙が止まらなくなり、息苦しくて辛くなっていたのに、ナースコールを押すというレベルなのかどうかがわからずひたすらゼーハー言っていたところに看護師さんが通りがかり、直ぐに先生や婦長さんを呼んでくれて、緊急で個室に入ることになりましたが、どう移動したのか覚えていません。

その翌日には一般個室からクリーンルームという個室に移されましたが、その事も覚えていません。気付いたら私はクリーンルームの中で点滴治療を受けていました。