今日ねるときと起きた時イライラと気分の悪さで不安だった。

落ち着いてたと思ったのに。

私常に『変わりたい』『怖い』って思いながら生きてるけど

それ自体が誰かにそそのかされてるだけのような。

一年ほど前電撃離婚して

絶賛ウォッチしてるブロガー。

 

『大変だったけど後悔はしてない』発言してて違和感。

 

この人やたらと旦那や旦那の親族に世話になってたんだけど

それで別れるってことは

『わがまま通せなくなったから捨てた』のかなというのが

正直な感想。

 

後悔という感情に似たなにかもあったはず。いい旦那さんだもん。

でも『自分を満たしてくれない人』

という受け身な幼児願望からすれば

どれほどいい旦那さんであろうと『役立たずのごみ』になるので

後悔のような感情と『どうでもいい』って感情が並立してるような。

 

『すごく良いもの捨てちゃってもったいないんだけどそのいいものに愛情もない』

ってこと。

 

某巨大掲示板でも似たような奥さん見かける。

『望まれて結婚したけど旦那が病気になったから捨てた』って言ってる人。

 

そのひと旦那との離婚を薄情と指摘されると猛然と不機嫌になるんだけど

それって後悔じゃないんだよね。

『他人に愛情を持つことのできない自分』に対する絶望と不安で

苛立ってる感じ。

 

この人が『自分は絶望してるんだ、欲にまみれてるんだ』って気づくのは

いつなんだろう。

 

正直身につまされもする。

私は夫を大事にできてない気がして。

 

 

相変わらず人のせいにばっかりしてるいやな人って印象(他人には好かれなさそう)だけど

言いたいことはよくわかる。

書いててくれてよかった。

 

『あなたはダメ』『あなたはダメ』『あなたはダメ』
 
『今のあなたはダメ』
 
こういうメッセージを、外側からかどうかはともかく私は受け取り続けている。
 
多分この『私はダメ』って感覚的なものでいうと『不安』のことだったんだと思う。
 
『今の自分はダメ、不安だから、変わることでそのだめとか不安を取り除けるはず』
みたいに考えて、いつも自分を救ってくれそうなコンテンツに飛びついては
痛い目を見てきた。
その繰り返し。
 
答え?と言えるかわからないが
『その不安』にまず耐えること、つかることが必要であって
不安から起こる『自分を良くしないと』は本質は強迫みたいなものだから
まずその衝動は置いておいてもかまわなかったのではと。
 
その衝動でいわゆる『いいこと』もあったから全部だめではないのが
なんか判断にこまるところだけど。
 
人に聞いて判断してみたらとも思うけど聞けない。
 
頑固さを感じる…。

今日はすっきりしてる。

生理終わり賭けだからかな。

 

いつもはイライラしまくって

気が狂うんじゃないかってほど

辛いからなあ…

私は毒親育ちでまともな感覚が育たなかった。

この感覚をまともの戻す方法は存在するらしいけど

 

歯医者に行けば虫歯は処置できる。でも

歯医者に行けない病気を患ってる。

だとしたら

方法が存在すると言われたって

そんな方法ないのと一緒だよね。

アフリカの植えた子供に『日本はご飯たくさんあるよ』

とか言われたって困るだけだ。

 

 

 

 

私には健康に戻る方法がなかった。

 

この自分を受け入れて生きるにはどうしたらいいか

なんてことさえわからないんだけど

 

ある程度今の自分を諦め認めながら生きないと

ただの時間の無駄だって気がする。

 

『何かを良くする改善する』って生き方って

実は虚無的だよね。

 

アフリカの子供が『日本にはご飯あるのに』とか考えながら生きたって

無意味でしょ。

そんなこともがいているうちに日が暮れる。

人生が終わる。

だから虚無。

 

私はもしかしたら『手に入らないご飯』を考えて生きてきたのかな。

まさにないものねだりだね。

 

「普通の幸せを求める」って、飢えた心はやりがちだけど

『無駄な努力で人生終わる』っていう感覚を

得るような気がする。

 

だから、今の自分ができることの方に目を向けていると

充足した気持ちになるのかもな。

 

その充足さえ不安感の保全でしかなくて

結局は無意味なのかもしれないけど。