生きづらさ。

 

私はそれを毒親のせいだと思っていた。

(実際うちの親は毒だけど)

 

だが最近はこう思う。

人類って人類規模で弱ってるんじゃねえかなって。

 

その弱り具合のさきがけがたまたま私だった。

 

だから、この生きづらさを個人の努力で覆すことは不可能なんじゃないかと私は思っている。

集中力が切れて何も手につかないし、趣味もできない。

 

世界って何だろう。

 

不幸になるための場所?

まあそうなんだろう。

苦しむための場所というか。

自分はいけ好かない奴だと思う。

人として能力が低い。

そういう不具合満載で生きてるやつが人に好かれたり社会性を得たりすることは不可能だろう。

 

…そういう場合、どう生きたらいいんだろう。

 

良質じゃない人間が生きる道なんて用意されてない。

だから、辛いだけの生きる価値もない人生が待ってる。

 

他人に責められない人間であることが最初からかなわなかった人間は、一体どう生きればいいんだろう。

 

 

世の中には自己中がいる。嫌われ者だ。

生まれながらに嫌われ者なその人は、別にその人が悪かったわけじゃない。

そういう性格の嫌われ者に成長せざるを得なかっただけだ。

何も悪くないのに、けれど自分のその嫌われ者の属性を背負って生きないといけない。

 

背負ういわれのないネガティブな属性を背負わされている。

 

こういうのなんと言葉で表現したらいいんだろう。

 

悲しみだろうか。

 

いくら自分が自分を責めるのをやめたとしても、自己中が自己中じゃなくなるわけでもないのだ。

不幸な人が楽になるわけでもない。

 

この世は理不尽だ。

 

その理不尽のなか、少しでも楽に生きていく方法なんてあるのかな。

 

ない気がする。

 

ただただ、闇の中を這いずり回る。

そう言うのが人生なのかもしれない。

 

改善も救いもない闇の中。

noteにアカウント作ってみようかなと思ってやめる。
利用規約を読んでも頭に入ってこないから。

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最近集中力が減退した。

文章を読んでも意味が入ってこない。
年齢のせいなのか、歯並びの悪化のせいなのか、精神疾患の悪化のせいなのかわからないが。

とにかく興味がもてないのだ。

昔から私は規約を読むのが嫌いだったが、それでも頑張って読んでいた。
今はその頑張りが無意味に感じられるのだ。


久々にここに来て思う。
私は何一つ変わってない。
書かれている内容が一緒だ、悩んでいることもほぼ一緒だ。

恵まれしか知らない人のブログを見張ってヲチしては自分の中の何かを傷つけ/慰める日々。
前の私と今の自分は全く持って同一人物だ。

常にイライラしていて、そのイライラに殺されそうになっている。

そんなところも何も変わってない。

こんなにも私はボロボロだ。

そんな自分を、気の毒に思っている。

 

もっと昔は変われない自分を殴りたかったはずだ。

何もできない癖にえばった文章を書いてしまうみっともない自分をコントロールしようと文章を何度も書き直す。

でも何度そんなことをしても、今度は何を言いたいんだかよくわからない文面になるだけなので結局私は文章を白紙に戻して何も言わなかったことにする。

 

今の私はそういう矯正を半ばあきらめている。

薄っぺらなくせに自分を特別か何かだと思い込みたい。

自分はそういう人間でしかなさそうだから。

 

これって自己受容と言えるんだろうか?

 

いいや、どちらかというと減速と諦観に近い。

 

自己受容なんて私には不可能だ。

そんな神に愛された能力を、私が与えられているはずがない。

 

ただ年寄りになって、自分を矯正したいという情熱が失われて行っているに過ぎなかった。

 

(こういうかりそめの自己受容を味わいたいなら「何かできる」なんて期待しないほうがいいかもね!自分用メモ)

 

回りに避難する人がいないというのも、自分の形状を保とうとする努力ができなくなった理由の一つかもしれない。

それがいいか悪いかはわからないが、少なくとも他人がそばにいないほうが私は楽なようだった。

人がそばにいないのが「好き」なのではない。

単に楽なだけ。

その手段を自分らしいものと愛してるわけじゃない。

 

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世界は悪化の一途をたどっている。

戦争が長引き、物価高は止まらず、人々の価値観にも変化が現れる、悪い意味で。

厳しくなる一方のルールに私はなすすべもない。

 

身体も頭も、そんな厳しい社会についていくための能力も情熱も失われ

 

気付けは私は何の保護膜もない競争社会にいたことに気づかされる。

日本は確かに安全な部類の国だった。

私はきっとその恩恵の中で、社会的底辺の家庭に生まれつつも何かに守られて生きてきたのだろう。

 

だが人間社会も一皮むけば動物のサバイバルフィールドに過ぎなかった。

 

ここに来て私はこの世が地獄だとようやく知った。

 

この世が怖くて、自分を強くしたくてのたうち回り続けた。
私は己の恐怖を克服しようとしたのだ。
その努力が無意味だと知って跡形もなく消えたとき、世界は急に生々しくなった。
 
スピリチュアル、非二元、自己啓発、時にヴィーガン、スポーツ。
こうした他者の宗教哲学に傾倒している間に私はすっかり社会性を失っていた(元からゴミ社会性だが)。
 
元の場所に戻ろうとしたときにはすでに私の身体は自分を奮い立たせられなくなっていた。
私は、他の人と同じように苦しい人生を必死で生きなくてはならないただのモブ命に過ぎなかったのだ。

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私は、人がなぜ他人に優しくするのかを知った。
自分がことさら特別じゃないから(特別じゃないというのは自分だけは神や奇跡に守られ安全とはいかないという意味)、相手に親切にして、敬って、自分の居場所を作るのだ。
私は今まで人に気遣っていたつもりだった。
でもそれは気遣いじゃない。
自分の欲は全部叶えたうえで「自分の心を護るために気を使ってますポーズをしていただけ」だった。
そうではなく、私は自分の願いを叶えることは諦めて、苦しい人生に身を投じなくてはいけなかったのだ。
それが社会性の第一歩だった。
 
自分という存在を特別にするための努力に、すべて見切りをつけるのだ。
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人生は地獄で、いいことなんて一つもありゃしない。
良いことなんかに何の価値もない。
だって全部地獄の産物だもん。
良いことも、本来は全部悪いこと。
都合よく解釈したときいいものに見えていくかもしれないけど、最後には裏切る。
 
でも生きて行かないと。
 
ここは本当に最低の地獄だ。

今日ねるときと起きた時イライラと気分の悪さで不安だった。

落ち着いてたと思ったのに。

私常に『変わりたい』『怖い』って思いながら生きてるけど

それ自体が誰かにそそのかされてるだけのような。