復讐者の鬱日記。社会人三年目前にして思う事。 | ぐちゃぐちゃブログボード。

ぐちゃぐちゃブログボード。

自分が思った事や考えた事を淡々とコルクボードに張り付けるかの如く書いていくブログ。特別な意味はありませんが、何かしらの発見があったら幸いです。(旧:はっちゃけ!ゲーム日和)

あと10日程で”今年度”が終わるので、こんなブログ記事でも書こうかなと思った。


社会人としては一つの区切りとしても捉えられている”三年目”。仕事を辞めるにしても、三年は続けておかなきゃ駄目だと友達からも聞いていた。早く辞めてしまうと”根性がない”と思われてしまう危険性があるからだそうな。俺にとっても転帰の一年にしたいなと考えている。


一年目はなんとなく過ごし、二年目はやっと実家から脱出。もっとこうしたかった!と思う所はいくらでもあるが、今から悔やんでも仕方がない。


二年目は親父の件だけでなく、仕事は仕事で多くの悩みがあった。一つとして新人に対しての対応。俺より出来る奴が沢山入ってきて焦ったり、飲みに誘って話を聞いたり、信頼出来ない先輩になっている気がして不安になったり・・・。


相手は思っているより自分の事を全然見ていないよ、というアドバイスを大学の後輩から聞いていたけれど、やっぱり俺は不安になってしまった。仕事が出来ている実感がなかったから・・・。


オマケに酷くおっちょこちょいなので、まわりから良く「大丈夫か」と言われてしまっている。信頼どころか、心配されてしまう状況なので、信頼は全然なかったと思う。


仕事への価値観も分からなくなってきた。

「相手から評価される事って、そんなに大切な事だったっけ?」

「会社へ貢献する事が目標だったっけ?」

「いつになったら別の仕事を貰えるんだろう。頑張りが足りないから仕方ないのかな・・・。」


今の仕事が嫌いな訳じゃない。捉え方を変えて、自分に取り込もうとするやり方だってある。環境を生かしたやり方もあると思う。相手から評価される事は大切なのは間違いない。だけど、評価される事が目標なのか?求めていたものなのか?と言われれば違うと俺は思う。


結局の所・・・自分がどうなりたいのか決まってないから、こういう考えが生まれてしまうんだろうな。色々考えてまとまらなくて、ただ不安を溜め込んでいくだけ・・・。


何も考えず”お金を貰う”という目的だけで、仕事を続けた方が楽なのかも知れない。まさに一年目はそうで、俺はただお金を貰うだけで満足してた。アルバイト以上にお金が貰えて嬉しくて、初任給で3DSLLを買った事は今でも覚えている。


だけど日々仕事に行き、ゲームをしている毎日に不安があったのも確かだった。それが積み重なった結果が、今の状況なのかなと思う。



そこで。最近は人にもとりあえず声をかけてみるように意識してる。嫌われる事に恐れて、声をかけずらかったんだけど。自分が声をかけてみない事には相手への対応も永遠に不明なままだよなって。経験と同じでさ。


何で俺はいつまでもコミュ障が治らないんだろう、と自問した時、今まで考え抜いた改善策を全然実行してないから当たり前だなと気付いた。実際引かれるかも知れないが、それはそれで次に生かすとして。


新しい経験としては自分が嫌っていた同人誌即売会的なイベントにも行ってみた。コミケだけじゃなくてね。そして買って読んだ。読んでいて気付いたのは、そのコンテンツの個人の捉え方が見れる事だ。


俺はあのアニメを見てこう思ったけど、この人はこう捉えてたんだな・・・と個人の考えを見れるのが面白い。絵の質もプロじゃねーか!と思う人やそうでもない人もいて。でもどちらも異なる魅せ方が存在し、改めて「絵や漫画って絵の質だけで語れないんだな」って思わされた。それが面白い。これはゲームを遊んでいても思っていた事だ。クオリティだけで語れないなって。


目的を見つける為に経済の本を読んだりしている。何故給料が上がらないのか?という事も、この本を読んで納得した。なので転職すれば給料が上がる!という考えは今は持っていない。だから俺が転職する場合、お金とは別の目的で転職すると思う。


今実感しているのは・・・どんなに言い訳しても、自分の人生の責任は自分で取らざるを得ないという事。仕事が忙して出来ない!だから仕方ない!と言い続けても、たちまち時間は過ぎていく。尽くした会社からクビにされても、自分で何とかするしかない。


日々考える事を忘れず、考えた内容を実行しながら自分を伸ばしていきたい。それでいて目標を早く見つけて、頑張っていきたいな。


ではでは。