2023年。色々あった年だった。

都合10年近く働いたユニセフを辞めてユネスコIIEPに転職。ニューヨークからパリへ。

協力隊終わって最初に修士課程で留学した頃は、今後のキャリアを通して世界中の途上国に住むと思ってたけど、振り返ればニューヨーク→タイ→ケニア→香港→ニューヨーク→パリとメジャーな都市ばかり。家族や子供の教育には良いし、グローバルレベルで何が起こってるかわかるので良いのですが、将来はイランとかシリアとかミャンマーに赴任したいぞっと。

 

今回ユネスコIIEPでは、技術支援部の部長の仕事を拝命して、20人以上からなるエキスパートグループのクオリティアシュアランス、様々なプロジェクトトラブルシューティングや学習を向上するための新しい教育分析や政策策定のためのコンセプトを作ったりしている。

 

2023年は19もの教育セクター分析・国家教育セクター政策策定・パートナーシップコンパクトの締結などに関わった。2024年は大小さまざまな27のプロジェクトがあり、また忙しい年になりそう。

 

国の大きさは色々あるので、こうした活動によって一概に何人の子どもの教育をサポートしたかというのは良い指標では無いが、2023年はこれらの活動を通じて約1億1000万人の子どもの学習をサポートしたことになる。

 

IIEPの仕事は緊急災害やイマージェンシーには関わらないかと思ったら、イエメンにハイチに南スーダン、また気候変動と教育と、人的・自然災害に深くかかわるプロジェクトが多かった。

 

 

ここ2年間IIEPは財政難のために数多くの同僚が組織を去らなければならなかったが、財政状況も良くなってきたし、新しいダイレクターも私も、またオペレーションのトップも任命されたので組織的に大分安定した。

 

私の部局には4つのクラスター(ユニット)があるが、教育分析・政策・M&Eが担当のクラスターに新しくP4レベルのポストを作る必要があると、この秋、様々な議論を経てダイレクターに提言したところ、新しいポストを作る許可が下りた。

 

今年の後半は、アフガニスタンやスーダンからの協力要請があり、また大洋州やPNGからも協力要請があったが、それらに対応できなかった。一方、ウクライナやパレスチナの状況に関しても、ユネスコの本部と今後協力体制を強化していく必要があり、そのためにもシニアエキスパートが必要だったので、この決定は本当にありがたいし、こちらの話を良く聞いていくれるダイレクターに感謝。

 

ウクライナ紛争に関しては、11月にウクライナの教育省とユニセフから、2024年のM&Eフレームワークを作って欲しいという依頼があり、2024年のQ1にサポートする予定。ウクライナの仕事はIIEPとして初めてなので、正味嬉しい。ウクライナに出張に行くためには、特別なセキュリティ訓練を受けなければならず、機会があったら受けてみようかなと思う。ちなみに、本番さながらの訓練で、3日間テログループに拉致されるという感じの訓練で、人によっては殴られて鼻血だしたりトラウマになるレベルの訓練だそうで、ソマリアやイエメンなどの紛争地に行く国連関係の人は全員この訓練を受けている。

 

パレスチナに関しては、ユニセフHQにいたころに教育状況分析のサポートしたけど、現在はウエストバンクの教育政策をユネスコHQがサポートしてるのだが、現在の状況が落ち着いたら、是非サポートしたい。賞味どうなったらパレスチナの教育政策についてちゃんと考えて分析できる日が来るのかと思うと、その日は全く見えないけど、その日のためにもこのP4を採用して準備しておきたい。

 

今回パレスチナの状況があって、個人的にはクリスマス自粛したい気持ちもあった。一方ロシア人の友達(プーチン嫌い)は、ウクライナやスーダンやほかの紛争ではユニセフが年度末クリスマスパーティ自粛するとか無かったのに、今回は自粛するのはとても恣意的だと文句言ってたけど、実際に百人以上の国連職員が殺され、歴史的大虐殺の現場を目撃してる状況にあるから、パレスチナは他の問題とは一線画すべき状況なのは明らかだと思う。他の問題も同様かそれ以上の注目を集める必要があるけど、今回パレスチナ問題に関しては黙ることは許されないという表現の方が正しいか。

 

国連職員やってて良かったのは、「私にはできることがない」って思わないで済むことかと思った。普通の会社で働いていたら、パレスチナでもスーダンのニュースを聞いて、「かわいそう、なんかしてあげたい」、と思う気持ちが沸き上がって来ても、それに対して出来る事は限られてて、せいぜい募金するぐらい。そのうちにそうした葛藤を覚えるのすら心や色々なものを擦り減らすから、見ないようにしてしまうかもしれない。実際に国連職員だから戦争を止めたりとか、そういった根本的なレベルで出来る事は限られてるのだけど、戦後復興のお手伝いとか、世界の教育で、もっと共感力や相手の立場に立って考える力を育てる教育を主流化できないかとか、少なくとも考えたり、小さくとも仕事として行動できるのはありがたい。

 

パリには、日本人の教育を専門とする国連職員がたまたま多く集まってる。本部のESDや緊急災害を担当するセクションのチーフは日本人だし、教育政策セクションのチーフの右腕も日本人。GPEにもOECDにもシニア日本人が在籍している。基本的には私以外みんな女性。去年SDG4をコーディネートするセクションのディレクターをやってた方も日本人の女性で残念ながらインドネシアの代表として栄転されてしまったのだけど、日本人の教育エキスパートがパリに集まっている間に一つだけでもいいからアクションを起こしたいと思っている。

 

 

辻麻里子さんが「22を超えていけ」で書いてたけど、(私の意訳では)自分の子どもも他人の子どもも同様に大切で、自分の子どもと他人の子どもを天秤にかけることなく行動できるようになれば、争いは終わる。人類が精神的に成長するために必要な特異点はそこにあると思う。イスラエルの兵士だって家族や友人や子供がいたりするわけで。正気だったら仕事だからって妊婦をブルトーザーでひき殺したり出来るわけが無い。

 

陳腐な考えかもしれないけど、没入型のVRで攻撃される側、される側の体験をしたり、相手側のストーリーを学ぶ機会さえあれば、多くの人々の考え方を多様化できると思う。人間は立場が変わらないと相手の言ってることを理解できないというか、相手を理解するというのは、おそらくはとても多層的なプロセスで、言葉レベルの相互理解(同じ意味合いで同じ言葉を使ってるか)・論理(論理に飛躍がないか、同じ仮定を用いて議論してるか)・文脈や感情(議論を議論としてとらえてるか、それとも自分が攻撃されると感じるかなど)のどれかにズレがあると理解できない・コミュニケーションが取れない。体験型学習というのはこうしたコミュニケーションのずれを少なくして新しい世界観の元で圧倒的な情報に出会うという事だろう。だらだら書いたけど、百聞は一見にしかずという事。

 

ガザで起こってることは、人類の歴史的に見れば、これまでも多々あったことかもしれない。それに対して人類規模で反応しているという事は、新し目の現象かもしれない。新しい技術で人が連帯したり教育を変えていく可能性が出てきているというのも新しい現象。そうした事を考えると、まだ世界は続くし少しづつ良くしていくことは可能だと思う。今ガザで手の半分を吹き飛ばされて、どうしていいか分からなくて泣き叫ぶ子供を、やはりどうしていいか分からなくて見つめるだけしかできない大人に対して、こうした考えは無力であるけど、より良い未来への可能性について考えることによって、少なくともガザに無関心にならずに済んでいる。