平和教育って、難しいんだけど、

なんで難しいかって話はおいておいて、

何で戦争が無くならないんだろうって、思ってて、

その一つの理由はこういう事かなと。

 

陰陽のマークってあるじゃないですか。

こういうやつ↓

陰は陽を含み、陽は陰を含む。

 

これって、静的に見てもいいんだけど、

俺には動的な関係にも見えるんだよね。

 

朝があって夜がある。

冬があって夏がある。

めぐるーめぐるーよ、時代はめぐると。。。

そういう、二つの異なる性質の循環を示してるようにも見える。

 

その循環のダイナミックさの中で、

陽は陰によって定義付けされ、

陰は陽によって定義付けされる。

 

陽のないところに陰が存在できないし、

陰のないところに陽もない。そんな関係。

 

戦争と平和も、似たような部分があるのかなと。

平和って、戦争によって定義づけされている。

戦争があって、悲惨なことがあった、

だから平和が大切だと。

 

そのロジック自体が間違ってるわけじゃないんだろうけど、

戦争をスタート地点にした平和というのは、

戦争が無ければ存在しないし、

陰と陽の関係のように、相互依存してる関係なのではないかな。

戦争の恐怖を二度と体験したくない、

戦争の悲惨さは二度と繰り返さない、その目的で平和が語られる。

 

そう考えたときに、

陰(戦争)に依存しない、平和ってどういうことか?

って思ったんだけど、例えば、

人を許すことだったり、

人に自分ができることは何かって考えて日々を生きることだったりするのかなと思う。

 

それを「平和」的な行為と呼ぶ人はいないけど、

戦争が無くなるのは、人々がそういう日々を送るようになったときなので、

じつは、そういう考え方や日々の過ごし方が、戦争から独立した平和の在り方なのかなと思う。

 

陰と陽の輪廻自体は、

いいことだと思ってる。

夢占いとかでも、血がどばーっと出る夢はいい夢。

悪い夢は動きのない夢。

 

人生でもベクトルの大きさが重要で、

100億稼いでも100億借金しても、どちらも似たような人生。

 

ベクトルの方向じゃなくて、大きさが、経験とか人生の豊かさだと思う。

 

なので、平和-戦争-平和のサイクルの中で、

いろいろ経験することは、悪いことでは無いのだろうと。

それは、どちらのフェーズや側に加担しても、なんかしらの強烈な体験して学んでいるという意味で。

 

ただし、人はそのサイクルから解脱(統合)することもできる。

あるいは、別なレベルの陰陽サイクルに移行することもできる。

 

それは、仏教的には悟りだったり解脱だったりするんだろうけど、

憎しみの循環から抜け出すためには、

「愛で赦す」という概念が最も大切だから、

キリストは、愛を語ったのかなって思った。

 

許しや愛が前面にでる教義というのは、

おそらく一神教の世界で革命的なことで、

それが、数千年前から殺戮や戦争が続く中東から出たのは、

偶然じゃなかったと思う。

 

イスラム教のラマダンの時期に合わせて、

アメリカはイスラエルに大使館を移動した。

 

 

抗議活動の中、50人以上のパレスチナ人が死んでしまったけど、

彼の地にもっと愛と許しが溢れるまで、もうちょっとなのかな。