開頭手術後、しばらくは身体が上手く動かせなかったと書いた。
開頭手術をして、その影響で初期化処理と言うか、正常に動かすための再設定処理が必要なのは部分的であって全体ではないと思う。
これに対して、新生児、つまり生まれたばかりの人間はまっさらの状態だから、
全身の機能に対して初期化処理が必要だろう。
日常生活で必要な動きをするのに、どれくらいの力加減でどのくらいの角度動かせば良いかを、
全ての動作に関して決めて行かなければ、安全に生活出来ないということ。
つまり赤ちゃんは最初、物がダブって見えたり焦点が合わせられなかったりしてまともに見えていないのかも知れない。
同じように鼻も口も耳も正常じゃないのかも知れない。
ぼくは生まれてから全ての機能が正常に動かせるようになるまでかなりの時間を初期化処理に費やされていると思う。
おそらく、赤ちゃんが立って歩けるようになるのは初期化処理が終了した時点だと思う。
そう考えると赤ちゃんが、何度も同じことをしたががるのも分かる気がする。
楽しいからというのもあるだろうけど、そうやって同じ訓練を繰り返しているのだと思う。
その過程で最初出来なかったことがだんだん出来るようになって行くのが楽しいのだろう。
それは今回の開頭手術を受けてから退院するまで体験したことからもなんとなく分かる気がする。
顔を触ったら、その感覚が分かる。
物がダブらないでちゃんと見える。
支えられずに真っ直ぐ歩ける。
だんだんめまいが軽減して行く。
食べ物の味が分かる。
(塩味、甘味、酸っぱさ、苦さ、辛さ、うま味は分かるけど、具体的な食べ物の味、例えばカレーの味は分からなかった)
暖かい食べ物や冷たい食べ物が食べられる。
(手術前は熱い物は凄く熱く、冷たい物は凄く冷たく感じたから。)
そういう当たり前のちょっとしたことが出来たり分かるようになると嬉しかった。
赤ちゃんはこういうことをもっと大規模に、長期間に渡って経験するのかも知れない。
赤ちゃんは初期化処理が終わった状態を経験したことが無いから、
初期化処理が進む過程で、それまで出来なかったことが出来るようになって行くという経験は楽しく面白いのかも知れない。
ぼくのように子ども時代に初期化処理は一度完了していて、大人になってから再度初期化を行う場合は、
既に初期化処理が終わった状態を知っているので、出来るはずのことが出来ないと考えるとストレスを感じだろう。
出来る出来ないということに重きを置いている在り方だとこうなると思う。
そして出来る出来ないに重きを置く在り方だと、物事の結果だけを重要視してしまう。
だからどういう状態でも楽しいとか面白いとか感じ難い、極端に言えば幸せを感じ難くなってしまう気がする。
幸せとは、結果では無くて常に過程に存在すると感じた。
幸せは今ここでしか感じられないと思うのだ。
赤ちゃんはひとりでは何も出来ないけど楽しそうに見えるのは、楽しんで面白がって生きているからかも知れない。