散歩が日課だ。
これが凄く疲れる。でもやらないと夜寝付けないような気がするので続けている。
なるべく楽に歩ける方法を、身体の使い方と感覚を感じながらいろいろ模索しながら歩くのは楽しい。
以前はそんなことはしなかった。
やっぱり手術を受けたことが影響してるのかも知れない。
最近は歩き方が変わって、姿勢が良くなったと感じる。
そのせいか、いつも感じていた肩凝りが気にならなくなった。
どうやら姿勢の悪さが原因だったようだ。
今の歩き方が良い歩き方だとすると、以前の歩き方は悪い歩き方だったのだと思う。
だらだらしていたと言うか。
猫背で下を向いて歩いていたようだ。わざとしてた訳ではないけど。
10代とか若い頃は、どんな歩き方をしててもそんなに問題はなかった。
しかし中年以降はそうは行かないようだ。
考えてみれば、お酒もコーヒーも大好きだったけど、今はほとんど飲まないでも大丈夫。
大好きだと思っていただけなのかも知れない。
平日も夜中遅くまで起きていた。
その分土日は昼過ぎまで寝て、寝溜めしているつもりだった。
かなり不摂生で身体に負担をかけていたのだろう。
健康を損なって、そこまで行かなくても不定愁訴が出て来て初めて分かるものなのかも知れない。
不摂生をしても健康だと身体が何とか修復してくれるのだ。
しかしそれにも限度がある。負担は負担なのだ。身体はダメージを受けている。
出来るだけ不摂生は止めた方が良い。
言い換えれば、不摂生は健康だから出来ることだ。
好きな事をして死ぬなら納得出来る。
でも好きな事をしないでは死ねない。
若い頃はそんなことを考えていた気がする。
この「死ぬ」は何故か「いきなり死ぬ」ことを想定していた。
しかし、身体を壊して死ぬってかなり苦しい。
いろいろな症状が出て来て、だんだん身体の自由が利かなくなって行く過程を経験する。
そうなって初めて自分は生きたいんだと強く感じたりするのだ。
病気を患っている間というのは、自分の身体との対話の機会なのかも知れない。
それまで顧みなかった身体からの声を、真正面から受け止める時間と言うか。
この時間を有効に過ごせれば身体の声を聞けるようになって、その後の人生はより有意義なものになるんじゃないだろうか。
それまでの生き方を貫くのもその人の勝手だけど、
身体をロボットとして扱うか?仲間として扱うか?で、人生の質はだいぶ違う物になると思う。