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自分世界探検家のブログ

人はみんな自分の信じていることに基いて、全てを解釈しています。
だから、全ての人がそれぞれ自分の世界に住んでいるとも言えるでしょう。

ぼくはぼくの世界を探検しながら、気付いたことや発見したこと、気になったことなどをここに記録しています。

身体をどう扱って生きるかということを書いた。

 

良い事だから疲れていてもやるとか好きな物ばかり食べるというのが、身体をロボットとして扱うということ。

つまり思考の要求を身体に強いるということだ。

今の日本社会ではこちらの方が良いと思っている人が多いじゃないだろうか。

人付き合いや義務、責任を果たすことが最優先なので身体の都合に合わせておけないと言うか。

 

これに対して、休みたい時に休むとか食べたくない時は食べないというのが、身体を仲間として扱うということ。

つまり身体からの欲求に応えるということだ。

 

思考の要求を身体に強いる生き方をして来た人にとって、身体からの欲求に応えるのはけっこう難しい。

 

まず、身体からの欲求と思考の要求が区別出来ない。

 

良い事だから○○をするとか、義務だから○○をしなきゃいけないというのが思考の要求というのは分かり易い。

しかし、ラーメンが食べたいとか、ディズニーランドに行きたいというのも思考の要求だという認識は無い人が多い気がする。

 

食べるというのは、身体からすればエネルギーを得る活動だと思う。

単に栄養素を必要としている訳だから、特定のメニューが欲しいとはならないはずだ。

だから、ラーメンが食べたいというのは、おそらく娯楽の要素か、依存や中毒の要素が入って来ているのだろう。

ディズニーランドに行くというのは、やっていることを分解してみれば、歩いたり話したり乗り物に乗ったりお金を払ったりという行動から成り立っていると思う。

そういう行動レベルで考えれば、別の場所、例えば病院に行くのと変わらないだろう。

だから身体にしてみればディズニーランドに行くのも病院に行くのも同じだと言えるだろう。

ディズニーランドに行きたいというのも思考の要求で、ラーメン同様娯楽か依存か中毒の要素があるのだろう。

 

娯楽を求めることや依存や中毒は、身体からの欲求と混同し易いと思う。

特に依存や中毒は強烈な欲求として感じられるのでなかなか抵抗しずらい。

しかし、まずはそういう強い欲求は思考の要求だと認められれば対応策も有ると思う。

 

 

では、身体の欲求を知るにはどうしたら良いだろうか?

それには日頃から身体の感覚を意識することが必要だと思う。

そして、いつもと異なる感じが出て来た時に気付けるようになると自ずと分かるだろう。

 

食欲は腹が減ったという感じで現れる。

特定のメニューが食べたいという考えは浮かばない気がする。

しかし、何を食べるか?と考えた時に思い浮かんだメニューがあんまり食べたくないという風に感じることは有るようだ。

今日はカレーの気分じゃないとか、重たい物は食べたくないとかだ。

おそらく今現在不要な栄養素や身体に有害な物を含んでいるメニューを身体は察知するのだろう。

 

そして何か必要としている栄養素が有る場合はそれが補給されるまで何と無く空腹感が有る気がする。

その栄養素が含まれている食べ物を見たら急にそれが食べたくなるということも有る気がする。

欠乏している栄養素が無い場合はあまり空腹を感じない気もする。

 

コーヒーやアルコールといった刺激物を多く摂っていると、空腹を感じることが多かったようだ。

それらをあまり摂らなければ物凄く腹が減るということも減った気がする。

おそらくそういう刺激物は何らかの栄養素を多く消費させたり破壊する働きを持つのではないかと思う。

 

身体の違和感は、身体の姿勢や使い方生活習慣によって対応できることが多い気がする。

 

風邪のような病気や膝痛や腰痛のような慢性的な症状になってしまうと自分独りで治すのは難しいかも知れない。

しかし、風邪の引き始めや膝や腰に違和感を感じるというくらいであれば、

早く寝たり消化の良い物を食べたり、歩き方、座り方、キーボードに向かう時間などを工夫することで対応出来るようだ。

そもそもそれまで普通だったのに、違和感を感じるようになったのであれば、最近その原因になることをしたり始めたからだろう。

それが自分の身体に合っていないというのが違和感として感じられるのだ思う。

 

そういうのが身体からの欲求だと思う。

 

今までのぼくの生活は頭の要求を肥大化させるパターンにはまっていたように感じる。

この先には不自由で不健康という意味で貧しい生活が待っているように思う。

 

でも、これからは身体の欲求になるべく応えるようにして行きたい。

そうすれば自由で豊かな生活が待っているのではないかと思う。