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自分世界探検家のブログ

人はみんな自分の信じていることに基いて、全てを解釈しています。
だから、全ての人がそれぞれ自分の世界に住んでいるとも言えるでしょう。

ぼくはぼくの世界を探検しながら、気付いたことや発見したこと、気になったことなどをここに記録しています。

ある動画の中でこんなことが語られていた。

 

「人が何かに挑戦しようとすると、追い風も吹くけど向かい風も吹く。この両方があるから上がる。」

 

何気なく聞いていて、違和感を感じた。

 

この動画主は人を飛行機に例えて話をしている。

飛行機だったらこの話は成り立つかも知れない。

 

でも、帆船だったらどうだろう?

向かい風が吹いたらその方向には進めない。

テーマが成り立たないことになってしまう。

 

そもそも何で人を乗り物に例える必要があるのだろう?

人には翼も無いし、帆も張っていないのに。

テーマを分かり易くするためとも言えるけど、

意地悪い言い方をすれば、分かった気にさせるためとも言えるんじゃないだろうか。

 

 

この動画主が悪意からこの例え話をしたとは思わない。

例え話でテーマを分かり易くつたえようとしているだけだろう。

 

例え話は平易な表現で、イメージし易いとテーマが分かり易いように感じる。

 

しかし、ここに言葉のトリックが入り込んでいると思った。

と言うか、聞き手の錯覚かな。

 

例え話の辻褄が合っていると、テーマも正しいと思い込み易い。

 

そもそも例え話とテーマは別なのだから、

例え話が正しくてもテーマが正しい事にはならない。

例え話が理解出来たからといって、テーマを理解出来た事にはならない。

それを一緒くたにするのは聞き手の錯覚なのだ。

 

 

詐欺などの悪意のある情報伝達はもちろん、こういうことは日常的に起こっているように思う。

 

重要なのは、他人が伝えて来る情報は、その人の考えに過ぎないということを知ることだと思う。

ここで言う知るというのは、いつも念頭に置くとか前提とするというような意味だ。

 

そして、その話を聞いて自分がどう感じるか?ということを大事にすること。

言い換えると、自分の感覚に素直になると言うか。

思考に頼り過ぎるから勘違いし易いのだと思うのだ。

 

偉い人や頭の良い人が言っていることでも、自分が違うと思ったら疑ったり却下して良いのだ。

 

どう判断するかは自分の自由なのだ。