言葉というのは、使っている人それぞれが自分固有の辞書を頭の中に持っていると思う。
だから、実はみんな言葉の定義はちょっとずつ違うのだと。
たまに、特定の単語について一般的な意味合いとは違う定義で使っている人がいて、
それを指して、間違っているというのだろう。
間違うのは、勘違いして覚えているからだと思う。
ぼくの場合は「うろ覚え」を「うる覚え」だと思ってた。
他にも沢山有るんだろうけど、自覚が無いので分からない。
自分でも言葉を間違って使っているし、他人もそういう間違いをしているはずだと思うのだが、
それでも会話が成立するのが不思議だと思っていた。
そのことについて仮説を思い付いたので書いてみる。
会話は、音声だけで成立している訳ではないからじゃないかと考えたのだ。
話し手は、音声以外にも何かエネルギーみたいなものを出していて、
聞き手はその両方から意味を引き出しているのだろう。
だから、音声から理解した言葉と、感じているエネルギーとから同時に相手の意図を汲み取っているとしたら、その2つの間に差異があると気持ち悪く感じるんじゃないか。
そして意味も上手く汲み取れないのかも知れない。
そうだとしたら、音声から意味を汲み取ることが得意な人と、
エネルギーから意味を汲み取ることが得意な人が居るのかも知れない。
そしておそらく、エネルギーの方が話し手の意図に沿っているから、
それと言葉が合致していないと感じると、言葉が間違っていると感じるんじゃないか?と思った。
エネルギーから意図を汲み取れるから、多少言葉が通じなくても意思の疎通が出来るんじゃないかと思うのだ。
辞書を勉強しなくても言葉を覚えられるのもこれに拠ると思う。
赤ちゃんが言葉を覚えるのは、特定のエネルギーと特定の音声がいつも同時に感じられることに気付くことから言葉の概念を理解するんじゃないかと思う。
このエネルギーは文章からも汲み取れるのだろう。
だから、読書量が多い人は、別に辞書を読んでいる訳でもないのに、正しい語彙力が付くのは、本を通して、言葉とエネルギーのマッチングを数多く体験するからだと思う。
だから、同じ読書量でも、同じ著者の本ばかり読んでいると、その著者が間違って言葉を使っていたら、読者も間違って言葉を覚えてしまうだろう。
しかし、幅広くいろいろな著者の本を読んでいれば、間違って言葉を覚える可能性は下がるだろう。全員が同じ間違いをしていることはまず無いからだ。
その人の雰囲気とか場の空気、文脈とか、話の流れなんて言われるものはエネルギーのことを指しているんじゃないかと思う。