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自分世界探検家のブログ

人はみんな自分の信じていることに基いて、全てを解釈しています。
だから、全ての人がそれぞれ自分の世界に住んでいるとも言えるでしょう。

ぼくはぼくの世界を探検しながら、気付いたことや発見したこと、気になったことなどをここに記録しています。

自分が何を食べたいのか?
今何を食べると食後に満足するのか?
が最近分からなくなっている。

 

と言うか、分かっていなかったことに最近気付いた。

これは、頭で考えた食べたい物が、身体が欲している物とは合致していないことが原因だろうと思っている。
今までは自分の身体が満足しているかどうかを確認していなかった、と言うか感じ取れていなかったと思う。
それを最近は感じられるようになって来たとようだ。
そして、頭で食べたいと思った物が、実は身体は欲してはいなかったということがことごとく起きていた、ということにやっと気付いたのだと感じる。

ぼくにはそんなことが有り得るという概念が無かった。

だから現状どうなっているのか?がなかなか認識できなくて、迷子になったような不思議な感覚に襲われていた。


パニックというのは、自分の状態をある程度把握していないと陥れないように思う。

自分の状態が分からないと迷子のような感覚になるというのも経験して始めて感じた。

お腹が減ったときに、何か食べたいと思う。

その時に、食べ物を思い浮かべていずれかのメニューを食べたいと考える。
例えば、カツカレー食べたいとか。

頭で食べる、というのは、

頭の中では、カツカレーの味や、カツカレーを食べて美味しいと思った記憶などを再生しているのだけど、

それが過去の情報で固定されたものだという認識が無いのだと思う。つまり頭で食べるといつも同じ味に感じるのだ。
これに対して、味わうという現象は、食べ物と、味わう者が揃って初めて成り立つことだと言えるだろう。

食べ物は厳密に言えば、同じ味の物は二つと無いだろう。

また、味わう者だって二度と同じ状態のことは無いと思う。
いつも同じことばかりやっている訳では無いし、身体も経年変化、つまり老化しているのだから。あくまで厳密に言えばね。
そういう一期一会のような、味わうということにはタイミングが関係するという当たり前の前提が、

つまり味わうごとに味は異なるということが頭で食べる時には欠落していると思う。


だから、あの時食べたあの味が感じられれば美味しいはず、あれを今味わいたいと考えているのだ。

頭で食べる場合は、実際に食べても実際に感じている味を無視して、記憶している味を再生して味わっている気がする。

だから、同じ味に感じる。

しかし、実際にカツカレーをちゃんと味わうと分かるのだろうけど、その時のカツカレーの味しか味わえない訳だ。
そして、それを美味しいと感じるかどうかは自分のコンディションに拠るだろう。
簡単に言えば、美味しいかどうかはその時に食べてみないと分からない。

不思議なのは、筋反射で自分に尋ねると、今食べると美味しく感じる物が何か?がある程度分かるのだ。
しかし、自分の感覚にもっと敏感になると、

筋反射なんか使わなくても自分が今何を美味しく感じるかが普通に分かるのだろう。


ぼく以外の人にとっては、当たり前のことかも知れない。
しかし、思考至上主義者だったぼくにとっては、思考で決めたことが正解では無いということがショックだったりするのだ。

しかもそれは自分個人のことなのに、だ。

 

自分に関する発見は留まる所を知らない、と感じている。