頭で考えた食べたい物と身体が実際に欲している食べたい物は合致しないことがあるということを書いた。
この経験から、果たしてほくはちゃんと自分の感じていることを分かっているのだろうか?と言う疑問が出て来た。
『分かってあげる』くらいの姿勢が必要なんじゃないか?と思い始めている。能動的に分かる、みたいな。
今まては、分かって当たり前、分かってやるくらいの感じだったと思う。受動的に分かってた、という感じ。
味わうにしても、感じるにしても、今までは受け身だったような気がする。
勝手に味がするとか、勝手に感じてる、という感覚で居た。
言い換えれば、受動的に味わい、感じていたという感じ。
味がして当たり前、感じて当たり前という前提があった気がする。
しかし、これも身体がそのように機能しているから経験出来ているだけで、
例えば、各種の感覚器官や神経が機能しなくなったら、
味わったり、感じたりということは出来なくなるのだろう。
そんなこと考え付かなったし、想像したくもない。
しかし、考えてみれば当たり前のことで、
それに気付いたら自然と感謝や驚きを感じざるを得ないと思った。
もっと能動的に味わったり、感じたりしていこうと思った。
これは生きるということにもつながっている気がする。
つまり、受動的に生きるか?能動的に生きるか?ということで、
ぼくはその切り換わりのタイミングに居るように感じる。