自分世界探検家のブログ -106ページ目

自分世界探検家のブログ

人はみんな自分の信じていることに基いて、全てを解釈しています。
だから、全ての人がそれぞれ自分の世界に住んでいるとも言えるでしょう。

ぼくはぼくの世界を探検しながら、気付いたことや発見したこと、気になったことなどをここに記録しています。

以前、今までは受動的に生きて来たけど、これからは能動的に生きて行こうと思った、ということを書いた。

聴神経腫瘍、つまり脳腫瘍が出来た影響でいろいろな症状が出ている。

耳鳴りと難聴で、左耳は聞こえない。

常にめまいがする。そのせいでふらつく。

顔の左側の感覚が鈍くなった。舌の左側の感覚も鈍くなった。氷をずっと舐めていたような感じだ。

 

これらの身体の機能が正常に働かないという体験から、身体が正常に機能することの神秘を感じている。

 

めまいがするというのは、姿勢を変える度に重心が移動するし、同時に見えている景色もどんどん変化する、

これらの情報の整合性が取れなくなっているからだと思う。

重心を見失うとふらつくし、カメラの手振れが効いていないような映像なので、気持ち悪いし、見ている物を見失う。

これを自動で補正してくれる身体の機能・性能って精密機械のようだ。それも凄い精度だと感じる。

「身体ってすごい!」
ぼくは、そんな精密機械のように働く身体をメンテナンスしたり、大事にしたりなんて考えたことも無かった。
ましてや感謝するなんて、発想すら無かった。

こういう当たり前のことに意識を向けると、奇跡や神秘だとしか思えないことが沢山在るんだろうな~

地球が出来て、
そこに生命が生まれて、
その中から人類が出て来て、
やがてぼくが生まれたのだ。

ぼくに続く系譜には全て男女が揃っているはずだ。
生きている男性の生物と生きている女性の生物とでないと子は成せないはずだから、
ぼくには一体何人の先祖、人に成る前を勘定に入れるなら、一体いくつの命が関わっているのだろうか?

それだけ考えても奇跡だと思える。

そういう奇跡が連続して行き着いたのが、現在のぼくの日常なのだ。

今自分が生きているということ、それだけで奇跡なのだ。

心臓の鼓動一回一回が既に奇跡。

奇跡が多過ぎて普通になっているということも奇跡。

 

つまり、日常というのは奇跡なのだ。