『嫌な奴に囲まれている環境』と言われると、その環境が悪いと考えてしまう。
でも、そんな環境は無いのだ。
そこに居る人たちがみんな嫌な奴だと思っている人が居るというだけ。
しかし、そう思っている本人にとっては辛い状況であることには変わりはない。
だからその状況を脱したいだろう。
そのためには環境を変えても良いけど、
その環境に居る人たちが嫌じゃなくなっても良いんじゃないかと思う。
そもそも自分の中の、他人を許せる許容範囲は充分広いのだろうか?という問題が有ると言えるだろう。
つまり、他人を許せる許容範囲が狭ければ、おそらく他所に行ってもまた嫌な奴ばかりだ、と感じるようになると思う。
思うと言うか、ぼくはそうだった。
ぼくは紆余曲折を経て、最終的には、家族以外とはほとんど付き合いが無くなってしまった。
自分でも何でこんなに知り合いが居ないのだろうと思った時期もあったけど、今は満足している。
家族以外の知り合いを増やす前に、ぼくには課題が有った。
父親が嫌だったのだ。
今考えると父親が嫌な奴な訳では無くて、
ぼくがそう考えていただけなのだけど、そのことが腑に落ちるまでかなり時間がかかった。
最近は以前ほど父親を嫌だとは思わなくなったので、好きになるまではもう一息かな?と思っている。
何をしたかと言えば、思い込みを手放して行っただけ。
強い感情もどきが出て来る度に、自分の中で起こっていることを観察してその感情もどきが出て来る元に在る思い込みを見付けて来ただけ。
無意識に思い込んでいることは手放せない。
意識出来てしまえば手放せるようだ。
嫌だと感じる行為は、自分が自分に課しているルールを目の前の他人が破ったと感じた時のようだ。
その頻度が多い人を嫌うのだ。
この自分が自分に課しているルールでも、自分で意識している、例えば法律を守るみたいなことはまず問題にならない。
しかし、無意識で決めている、自分独自のルールは他人に破られることが多かったりする。
そういう自分独自のルールに気付いて行くことでこれを手放せ、他人を嫌う原因を減らせる。
それだけじゃなくて、自分独自のルールを守らなくても良くなれば、自分の自由度も増える。
もうちょっとしたら家族以外の知り合いが欲しくなるのかも知れない。
でも、ぼくはほとんど世捨て人の生活が長かったので、
あまり他人と交流する機会も無いし、興味もないからなかなか知り合いは増えないかも知れない。
そういうことは流れにお任せしようと考えている。