社会では、あなたは誰か?と問われる場合、その人自身として見られることは少ない気がする。
職業、役職、出身学校の卒業生とか、出身地、年齢、家族の中での位置付け(お母さんとか)で見られることがほとんど。
だから、何かの役割を担うことに対して、
ぼくは、自分にとっての新しいアイデンティティを得る、みたいな意味付けをしているような気がする。
顕在意識ではそんなことは考えないけど、潜在意識ではそんな思考が働いているのではないかと思った。
だから、一度就職や入学すると、簡単に辞めることは許されない、みたいな感覚が有るのだろう。
会社や学校を風邪くらいでは休めないと思うのも、何か使命感のようなものから来ている気がする。
自分の役割をちゃんとこなす、全うするということに大きな価値を見出している気がする。
好きでそうしていると言うより、役割は一生懸命やるべきもので、
そうしないと叱責されてもしょうがないものというような感じが自分の中には有るような気がする。
他の日本人もそんな感じが有るのではないだろうか?
何かの役割をしっかりこなすために生きている、という感じすらする。
だから、日本の接客業のサービスはすごく丁寧なのではないか?と思う。
ものを作る仕事では、その便利さや有効性を常に高めるような努力を怠らない。
海外のことはほとんど知らないけど、仕事に対する熱意はもっと幅が広いんじゃないかと思う。
以前は、そんな日本の、何と言うか職人気質な仕事への向き合い方が好ましく、ちょっと誇らしい気もした。
しかし、最近は、自分の中のそういう志向性が生き難さを感じさせる要因のひとつになっているような気がする。
要領良くささっとやるというのが昔から苦手で、やるなら徹底してやる、やらないなら全くやらないみたいな感じが有って、
楽しむというのが苦手だと感じる。
やりたいからやってみるというのが出来ない。
やりたいと思っても、それはやり続けられると思わなければやらない、みたいな感じがある。
何でやり続けないといけないのかは、初期投資のお金や時間を無駄にしたくないから、とすぐに答えが出て来る。
すごくもっともらしい考えだと思うけど、
それは、自分のやりたいという気持ちや、新たに何かを経験することよりも、
お金や時間の方が大事だと言っていることになるだろう。
それって何のために生きているのだろうか?と我ながら思う。
そうやって温存した時間で何をするか?と言えば、特にやることもなかったりする。
書いていて、自分に新しい経験をさせたくないような印象を受ける。
自分のことなんだけど。
ちゃんとしたもの、人に見せても恥ずかしく無いものにならないなら、
それだけの労力や気力を傾けられないならやらない方が良いというような考えがある気がする。
何でそんなに硬く考えるのだろうか?
いちいちその道の一流を目指さないといけないみたいな感じがして、
それでは新しいことにチャレンジするのも、やっていることを止めるにも簡単には出来ないだろう。
その不自由さが嫌だな、と最近は思うようになって来た。
好きでその道の一流を目指しているなら素晴らしい事だと思う。
しかし、それが自分の中で義務になっているとしたら、かなり辛いだろう。
何のために生きているのだろうか?
義務を全うするため?
楽しむため?
それともそれ以外の目的があるのだろうか?
正しい答が有る訳では無いだろう。
自分はどれを選ぶか?しかないだろう。