中学生の時に進路を決めろと言われた。
ぼくは高校進学を選択した。
しかし、それは問題の棚上げに過ぎなかった。
自分が何をやりたいのか?
何をすべきなのか?
これが分からないので、とりあえず高校に進学して高校で自分の進路を決めようと思った。
自分の進路を決めることを棚上げするということを中学生のときに意識的に選択したのだ。
凄く苦々しく感じたけど、それがベストな選択と言うか、それしか思い付かなかった。
その戦略はそのまま高校、大学でも引き継がれ、何と社会人になっても引きずっていた。
仮にやってみたら、それが生涯の仕事になる人は多いのではないだろうか?
ぼくもそういう物かな?と思った時期もあったけど、働き始めているのに、自分の進路だと思えなかった。
仮の仕事のように思っていた。
しかし、日々の忙しさにかまけて、自分のやりたいこと、やるべきこと探しは中断したまま忘れていた。
それが、適応障害発症とともに再燃した。
と言うか、一度も消えていなかったのだ。
自分の進路はずっと突き付けられていたのだと今になって思う。
「そうじゃないだろう!」と強制的に制止されたような感じだ。
中学生の進路決めの時点からぼくの人生は横道に逸れ続けていたのだと思うと、
何とも大規模な寄り道だと思わざるを得ない。
ぼくの人生において、棚上げしたまま忘れている内に消えてしまう課題なんて無いのかも知れない。
大事なことであればあるほど、消えちゃうことなんてないようだ。
だから課題を突き付けられた時に向き合って行く方が結果的に納得出来る人生を送れるのかも知れない。
棚上げしても、またいつか向き合わないといけなくなる。
逃げていると強制的に向き合わされる。
とは言え、みんながみんなぼくのような人生ではないだろうから、
棚上げしたまま生き切る人生も有るのかも知れない。
ただ、ぼくの場合は未だに自分の進路が決まっていないという感覚がある。
前に進まずに横に行ったり、止まったりしている感じだ。
いつまでもそう感じるのは、きっとやるべきことがあるからだろうと思っている。