保険は不自然 | 自分世界探検家のブログ

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人はみんな自分の信じていることに基いて、全てを解釈しています。
だから、全ての人がそれぞれ自分の世界に住んでいるとも言えるでしょう。

ぼくはぼくの世界を探検しながら、気付いたことや発見したこと、気になったことなどをここに記録しています。

人は生きている。

世界は生きている。

常に動いているし変わっている。

 

だから止まったり、滞っているのは不自然なんじゃないか?



何かを掴んで離さなかったり固執し過ぎるのは、停滞することになる。

動くことでエネルギーが循環し続けるとしたら、その場ではエネルギーの循環が途絶える。
そうなるともう、死に向かっているのと同じなのではないか?
生きていないと、死に向かう。

これはあまり考えたことがなかったけど、何となく正しいような気がする。

短期間の停滞は問題ないだろう。

長期間に渡る停滞が問題なのだ。
もう使わなくなったモノを大事に取っておくような感じの考え方が死を招く気がする。
実際は使わないけど、将来また使うかも知れない。

その考え方は保険にも通じるだろう。
保険は現状維持が根底にある考えだと思う。

現状維持は変化を拒む在り方だろう。
それが、この世界では自然では無い在り方なのだ。
自然では無いから、それは死に属するのだろう。

 

保険を止めろということでは無い。

保険が必要だと思うなら使えば良い。

 

しかし、保険を必要とするその考え方、在り方が不自然だという話なのだ。

 

 

不測の事態は誰にでも起こり得るように感じる。

しかし、それは必要な人に必要な時に起こるんじゃないかと思う。

不測の事態は自分を変えるチャンスだと思うからだ。

 

ぼくは適応障害と全般性不安障害と聴神経腫瘍を経験した。

どれも辛い経験だったが、ぼくの人生にはこの経験が必要だったと思う。

そう思えるように自分が変われたのもこの経験があったからだろう。

これらの経験の前の自分だったら、今の自分は壊れてしまったと考えるだろう。

 

ぼくは不測の事態が3回あった。

しかし、1回で変われれば後の2回は起こらなかったと思う。

 

たぶん、不測の事態が起こるのはその変化に耐えられる人なんだろう。

そしてその事態は自力で乗り越えられるようになっている気がする。

 

いたずらに不測の事態を怖れる必要は無いと思う。

 

 

以下は余談。

 

起こるかも知れない不幸に個人で備えておかないといけないという社会がおかしい気がする。

そう教えるなら、その備えも社会がすべきだと思う。

 

なぜ恐怖だけ煽って置いて、保険の料金は各自に負担させられるのだろうか?

そのことに不自然さを感じずにはいられない。

 

保険って、果たして誰のため、何のために有るのか。

 

 * * *

 

【2023年1月18日追記】

 

文章を追記する。

 

つい問題が外にあるように書いてしまった。

言いたいことは逆だ。

そういう風に思う自分の考えは何処から来ているのか?ということ。

 

別に権利を主張したり、企業などの責任を追及するのも良いだろう。

でも、外のものに働きかけても変わるかどうか?は分からない。

 

それよりも、その問題意識が何処から来るのか?その自分の考えを観察する方が、

よっぽど得るものが大きいし、自分にとって重要だと思う。

 

ぼくは問題定義をするような書き方をしているけど、

自分では疑問でも何でもないと考えている。

 

保険会社がしているのは利潤の追求だろう。

お金が儲かる方法を模索して、今の業態になったのだと思う。

 

だから、保険会社の在り様は、消費者の反応の現れなのだ思う。

少なくとも一部分的には消費者がそうさせているのだと。

 

そういう保険会社の在り方に疑問を持ったぼくは、

その考えは何処から来るのか?と観察した内容をこのブログに書いたつもり。

 

じゃあどうするのか?という選択を自分に突き付けたのだと思う。

 

まずは保険を必要と考える、その基になる考えを知ることだろう。

保険に対するアクションはその後に考えたい。