子どもの頃に喉から手が出るほど欲しかったオモチャがあった。
当時、ぼくが欲しかったオモチャは大人気で、まず店頭に並んでいることは無かった。
テレビのCMを見て、こういう物だろうと想像を掻き立てていた。
親にねだっても買ってもらえなくて悶々とする。
その内友だちが手に入れたと聞くと余計欲しくなったりした。
そうこうしている内に、別の新しい魅力的なオモチャが登場して心を奪われる。
それまで欲しかったオモチャのことはいつの間にか気にもしなくなっていた。
そんなことの連続だった気がする。
大人になったらそういうことは無くなっただろうか?
どうやら無くなってはいないようだ。
大人になってから欲しくなる物は、子どもとは違うが、手に入り難いことは一緒で、誰もが欲しがっているように見える。
車、家、時計、靴、ファッション関係、小物など。
物に限らない。
交友関係、ステータス、お金、人脈。
美しさ、若さ、元気、健康。
対象が変わっただけで、構造は一緒な気がする。
みんなが欲しがっていると思わせられ、
それを手に入れると快適さや快感などとともに優越感とでもいうのだろうか、流行を先取りしたみたいな満足感が得られる。
束の間だけど。
そして、すぐに次の流行がやって来ると、その波を追って彷徨う訳だ。
流行を追うには凄いエネルギーが必要だと思う。
いろいろな流行があるし、どんどん新しい波が来るので、
いちいち立ち止まって考えている暇も無い。
みんなにいちいち立ち止まられては流行が起き難くなってしまう。
流行の方も、それでは困るから考える暇を与えないように必死なのだろう。
流行を支えているのは、流行を追っている人たちだから、
流行と書いたけど、流行の波のスパンはいろいろあるようだ。
お金の流行は長いように感じる。
ステータスは魅力的なのだろう。これも長い。
それに比べると、オモチャの波の長さは短い。
極端に短い。
しかし、この流行を追う快感を覚えるには、子どもにはオモチャくらいが丁度良いのかも知れない。
短い=小さい波で慣らして行って、いずれは大きな波にも興味が持てるようになっていくのだろう。
流行を追う能力も、小さい頃からの数限りない練習の賜物なのかも知れない。
一度立ち止まって考えることをしてしまうと、
今度は流行の波に置いて行かれることになる。
すると、流行の波に一緒に乗っていた仲間は全て居なくなってしまう。
それは経験しなくても何となく分かるので、
みんな流行に乗り遅れないように必死になるのだろう。
しかし、流行は流行に過ぎない。
自分に本当に必要な物はほとんど無い。
一度正気に戻ってしまい、流行の仕組みが見えたり、
自分に本当に必要な物が明確になったら、もう流行を追う必要は極端に小さくなる。
もしかしたら、自分に本当に必要な物も波で、ただ、他の人が狙わない特殊な波なのかも知れない。
それには、たぶん練習なんか無しで乗れるのだろう。
練習は逆に、自分の波乗りの体勢に変な癖が付く分、邪魔なのかも知れない。