親は基本的に子どもよりも先に老化して、人生の幕を下ろすだろう。
理屈としてはそれは分かるけど、
感情的にはそうは行かない人も多いんじゃないだろうか。
「はい、そうですか。」
とぼくはすんなり思えない。
親の健康状態を気にするようになったのはいつ頃からだろう。
子どもの頃は、
親が怪我や病気になっても、いつか治るだろうと信じ切っていた。
それが、気付けば風邪を引いたというだけでも心配になる。
転んだだけでも、怪我な無いか?骨折は!?となる。
幼児にとって一番身近な大人は親だろう。
親は巨大で不可能が無いという感じがあると思う。
何でも知っているし、
幼児の自分が困っていると助けてくれる。
そういう親の全能時代を知っているから、
自分が大人になっても、親が加齢で衰えて行く姿は何となく痛ましいように感じる。
「そんなはず無いだろう。頑張ってくれよ。」
みたいな悲しみと言うか気まずさと言うか焦りと言うか、
そんなあまり感じたくない感情が湧いて来る。
この感情には以前から違和感があった。
親への気遣いだと思うことにして考えないようにしていた。
明確にしたくないという感じがあったのかも知れない。
最近、スマホの使い方を教えてくれと言われた。
QRコードの読み込み方が分からないと。
それはもう2度ほど教えたことだった。
それで腹が立った。
何度も同じことを訊くな!と思ったのだ。
けっこう強い感情が出て来たことが気になった。
QRコードの読み込み方を教えて、一人になってから自分の中を調べた。
怒りの原因は、同じ事を何度も訊かれたこともあったけど、
親の記憶力の衰え、
いや、親の衰えに対する怖れがあると感じた。
そういう親が受け入れられない。許せないという感じ。
何が怖いのだろう?
どうやら親への依存があるようだ。
精神的に頼っているので、弱って欲しくないのだ。
それなのに勝手に理由も無く弱って行くから怖い。
それが怒りという感情で現れたのだろう。
親そのものは見ていないのだ。
自分が親に依存し続けられるかどうか?しか興味が無いのだ。
つまり、親に元気で居て欲しいというのは、エゴなのだ。