自信が無いというのは勘違い | 自分世界探検家のブログ

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人はみんな自分の信じていることに基いて、全てを解釈しています。
だから、全ての人がそれぞれ自分の世界に住んでいるとも言えるでしょう。

ぼくはぼくの世界を探検しながら、気付いたことや発見したこと、気になったことなどをここに記録しています。

自信とは何だろうか?

 

ぼくは、自信とは自分を信じていることだと思っている。

自分の可能性と言うか、どうなっても大丈夫という感じ。

 

 

何かが出来るから自信がある、というのは、何かが出来たら大丈夫ということを信じている。

だから、もっと出来る人には負けたと思う。

それは困るから自分より出来る人は出て来て欲しくない。

 

何かを持っているから自信がある、というのは、何か持っていたら大丈夫ということを信じている。

だから、もっと持ってる人には負けたと思う。

それは困るから自分より持ってる人は出て来て欲しくない。

 

高い地位が在るから自信がある、というのは、高い地位に在ったら大丈夫ということを信じている。

だから、もっと高い地位に在る人には負けたと思う。

それは困るから自分より高い地位に在る人は出て来て欲しくない。

 

こういうのは自分を信じている訳ではないと思う。

他人との比較において他人より自分の方が有利だと思って安心しているだけだろう。

 

そういうのはぼくは自信もどきだと思っている。

 

 

「自信満々」っていう言葉がある。

あれは、何となく自信には度合いがあるような印象を受ける。

「ちょっと自信が有る」とか、

「半分くらい自信が有る」とか。

その最上級が「自信満々」かなと。

自分だけが良かったら良いみたいな、

どこか独り善がりと言うか、傲慢みたいなニュアンスを感じる。

 

自信というよりは自慢に近いのではないだろうか?

自慢したい人は、自分のことで頭が一杯だろう。
他人に対する思いやりなんて忘れてしまう気がする。

 

 

自信とはそういうものじゃない気がする。

何かが出来るかどうか分からない。

何かが持てるかどうか分からない。

高い地位に就けるかどうか分からない。

ただ、そういうことにチャレンジしたかったらチャレンジすることを自分に許せる。

そして、その結果がどうなっても、それを受け入れることが出来る。

落ち込んだり、他人を妬んだりしないということ。

 

自分と世界は切っても切れない関係性、と言うか、世界の一部が自分だ。

だから、自信がある人は世界も信じている。
自分と自分以外、どちらも大事にするようになると思う。

 

自信がある人は他人も信じている。

だから、他人に対する思いやりがあると思う。

決して、他人を挑発したり、悪く言ったりしないだろう。

他人の成功も喜べるんじゃないかと思う。


自信は認めているか認めていないかしかないと思っている。

「自信が有る」か「自信が無い」のどちらか。

 

しかし、実際にはみんな自信は有るんだと思う。

赤ちゃんはみんな自信が有るように見えるから。

ただ、それを忘れているだけ。

自信が無いと思っているだけだろう。

 

本当は「自信が有る」と「自信が有ることを忘れている」のどちらかだと思うのだ。

 

 

「Aさんは自信満々だ。」とBさんが言った場合。

 

Aさんは「自信が有ることを忘れている」人で、

自信もどきを持っている人なのかも知れない。

あるいは、Bさんが「自信が有ることを忘れている」人で、

自分の中の自信もどきをAさんに投影して見ているのかも知れない。


それだったら、感覚的にしっくり来る。