自分の欲求を満たして行くと、だんだん自分のことを受け入れられるようになる。
そして自分は自分なんだ、他人に成る必要はないいんだという感じになる。
葛藤が減るという表現の方が分かり易いかも知れない。
これは、最初バラバラだった自分を統合して行くようなイメージだと思う。
最初は自分の中にいろいろな考えや気持ちが有って、
それぞれバラバラに望みや目標を目指していて、
その実現のために他の考えや気持ちと争っているような状態。これが葛藤だと思う。
それぞれの考えが勝手に働いて欲求を主張するので、本当の欲求が明確には分からない。
考えた末、理にかなっと思われる望みを叶えようとしても、何か違うという違和感が付いて回る。
それが、変な望みだと思っても、それぞれの考えの欲求や目標を一つずつ叶えて行くことで、
競合していた考えが出て来なくなって、だんだんと頭の中が静かになる。
こうなって初めて、自分の本当の望みが分かって来るようだ。
自分の中身が一丸となって、やるべきことが明確になるから、後はそれをやるだけだ。
人生がシンプルで生き易くなるだろう。
ここまでは個人の話だけど、同じ事は集団になっても言えるような気がする。
つまり、一人一人がバラバラの集団は、集団としての目標を掲げても、
個人がそれぞれ自分の目標の達成に向かってしまうので、
集団としても目標の達成が難しくなるのだと思う。
集団で何かやるときは、ルールと上下のある組織を作って、命令する人と実働部隊を分ける。
個人を賞与で釣ったり、罰則で締め付けたりすることで組織の目標を個人に押し付ける形を採っていると思う。
それが一般的だから、そのやり方しかないように思い込んで、みんな従っているように感じる。
これは端から、人は協調性が無く、バカで、怠けるものという前提から来ている発想だと思う。
個人的な資質がある程度高ければ、どんな人でも良いから人を集めて集団を作って何かをやる、
という方法は人の特性に合っていないのではないか?と思う。
集団で目標を達成することを求めてしまうと、
自分のことより集団の目標の達成を優先して考えることを要求することになってしまい、
それは他人軸で生きることを強要するようなものだ。
まるで葛藤を抱えたままの人が自分の欲求を叶えようとしてもがいているような感じだと思う。
集団で何かをやる前に、その構成員一人一人の欲求を満たすことが必要な気がする。
そして満足した人が集まって、何かをするとなったら凄い力を発揮すると思う。
集団で何かをしている時も、個人の欲求は最優先で満たされるべきだろう。
どんなに高い理想を掲げたり、給料が高かったり、優遇されたりしても、
満足していない人たちの集団では、
満足した人たちの集団のパフォーマンスには敵わないのではないかと思う。
敵わないと言うのは、数値的なスペックには現れないようなモノかも知れない。
満足感みたいな。
ファンになっちゃうとかね。
商品でもサービスでも、便利で楽しく、幸せな気持ちにさせられるようなモノを提供してくれる気がする。
まずは、そういう所でもやって行けるようになりたい。
つまり、葛藤の無い満足した状態の個人で在りたいと思う。