この↓動画で紹介されている話が面白かった。
その部分を抜粋する。
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人が幸福になる方法は簡単であると。
(中略)
嫌なことがあったら、ありがとうございますと言う。
(中略)
嬉しいことがあったら、感謝しますと言う。これだけです。
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これに関して動画主さんの解釈の一部を抜粋する。
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ありがとうというのは、自分の感情とは別に、
感謝ありがとうという方の気持ちを選択して受け取ると選択したっていうことになるわけですよ。
それから嬉しいことになったら感謝します、これも結構できる人は僕は少ないと思って。
やっぱりほら、考えてた通りとかやっぱりあの時これやったのは正解だったんだよとか、
まあそうなっちゃうことが多い中で、天命として何か天に栄光を返すという気持ちで感謝しますと受け止める。
これも、決断しなければ、選ばないとこうした態度取れないんですよ。
だからどちらでしょう。
ありがとうも感謝するも、その状況とは関係なくて、
取るべき態度として自分たちが選択してるってことなんですよ。
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能動的に生きるってこういうことか!
と思った。
凄く響いて来るものを感じた。
嫌な事があって、ありがとうと言うのは難しいのかも知れない。
強烈なネガティブな感情が出て来て、それに飲み込まれてしまうと絶対に言えないだろう。
それはしょうがないと思うけど、諦めなくても良いだろう。
ネガティブな感情が出て来たら、まずはそれを感じ切る必要が有ると思う。
何か淀んだエネルギーが溜まっているということなので、それを消費してあげるのだ。
溜まってるエネルギーが減ると、ネガティブな感情が出るとしても勢いがなくなる。
そうしたら、感情と距離を置くことが出来る。
少なくともそういう状態になったら、嫌な事があってもありがとうと言えると思う。
ありがとうと言わなきゃいけないんだ!と自分を縛るということではない。
それは選択しているようで、自分を束縛しているだけだと思う。
能動的に生きるためには、ネガティブな感情が出て来ても見過ごせる状態になる必要が有るということだろう。
そして、能動的に生きるということは、自分で選択するということで、その結果は全て自分で受け入れるということ。
自分以外の何かや誰かに責任転嫁しないということだ。
そうなって初めて、幸福になれるのだろう。
受け身で待って居ても、良い気分になることは有ってもそれは一時的なことで、
永続的に幸福にはなれないようだ。
なぜなら、「永続的に幸福になる」というのは表現的な嘘であって、
本当は、毎瞬毎瞬幸福な選択を続けているということだからだと感じた。
感情っていうのは、出来事に対する自分の解釈に反応して出るから、受動的にしかなれないと思っていた。
出て来る感情を変えるのは確かに出来ない、出来るのかも知れないけど至難の業だ。
そうではなくて、解釈を選ぶ。
「ありがとう」と言うにはどう解釈するのか、スタンスを決める。
それは自分の在り方、世界観を決めるということだと思う。
嫌な事があって「ありがとう」と言えるのは、
それだけ自分と世界を信じていないと言えないと思う。
「そんなことはない、言えば良いだけでしょう。」
そう思う人は、既に自分と世界を信じているのだろう。
何でそう思うか?
それは以前のぼくは言えなかったからだ。