自分らしさを発揮する、という表現がある。
概ね、その人の才能を発揮するというような意味で、良いことだからやった方が良いことと思っていた。
そう思いながらも、ぼくには発揮出来る才能の心当たりも無いし、他人事だと思っていた。
でも、それは違うのかも知れない。
違わないけど、かなり限定的な捉え方をしている、勘違いしていると思う。
と言うのも、人は通常、常識でも他人の目でも前例が有るかということでも、何か制限が有る前提で生きている。
そういう人が自分らしさを発揮すると言う場合、
無意識に自分に課している制約の中で、自分の独自性を発揮することだと考えているからだ。
自分らしさとは、たぶんそんなに生易しい、大人しいものではないだろう。
制限を全部取っ払らった、そのまんまの自分になったときの自分が発揮する力のことだ。
「自分らしさの発揮」というのは、常識からはみ出ている自分も隠さないということだ。
言い換えれば、世界の制限に自分を合わせることをしないという意味だ。
だからこそブレーキを外して、アクセルベタ踏みで力が発揮出来るのだろう。
それは、世界の制限内で生きている人たちの目には、とても奇妙な、常軌を逸した在り方と映るかも知れない。
超人、常識が無い、凄い、バカ、カッコイイ、キモい、カリスマ、気持ち悪い、神、おかしい。
しかし、それがその人らしさを発揮するということだと思う。
天才には変人が多いと聞いたことがある。
天才とは、自分の制限を外した人の中から現れるからだと考えると納得出来る。
だから、天才を目指すというのはおそらく上手く行かない。
それよりも、自分が自分に課している制限を知って、それを手放ることを続けた方が、
何らかの才能を発揮出来る可能性が大きい気がする。
必ずしも、自分が求めていた才能ではないかも知れないけど。