自分にとっての本当に満たされた暮らし | 自分世界探検家のブログ

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人はみんな自分の信じていることに基いて、全てを解釈しています。
だから、全ての人がそれぞれ自分の世界に住んでいるとも言えるでしょう。

ぼくはぼくの世界を探検しながら、気付いたことや発見したこと、気になったことなどをここに記録しています。

この↓ブログを読んで素晴らしいと思った。

自分の感情を否定したり抑圧したりせずに、吐き出している。
それから、対応策を丁寧に考えている。
これが素晴らしいと思った。
自分を大事にするってこういうことだろうと思った。

それから、この人は本来の自分とか考えていない。
今現在の自分のままで如何に楽しむか、不満を溜め込まないか、というアプローチだと思う。

ぼくは、激しい感情が出て来るのは、まず間違いなく反応だと思うので、そういう場合は感情を吐き出すことよりも観察する。

そうして、その感情の元に在る考えを知ることでそれを開放しようとしている。
それが出来ると、今後また似たようなシチュエーションに遭遇しても、同じような激しい感情は出て来なくなる。
これが本来の自分だろうと思っている。


上に挙げたブログに出て来る、

カフェ、ランチ、飲みやショッピングに行くことが出来ないと『こんな暮らしヤダヨー』となるのは何でか?
ぼくも会社勤めをしている頃は飲みに行くのが大好きだった。

当時は楽しいと思っていたが、会社を辞めてからはあまり行く気がしなくなった。

最近はお酒はほとんど飲んでいない。

 

あれって結局は単なるストレス発散だったんじゃないか?と思う。

ストレスが無くなったからストレス発散も必要無いのかも知れない。

つまり、本当に楽しい訳ではなかったのだろう。

会社勤めで嫌なことがあった。山ほどあった。
ストレスを溜めてまで無理して働いて、飲みに行ってそのストレスを発散する、という生活パターン。

これが満たされた生活なのだろうか?

嫌なことをしなくてはいけなくても、その嫌な気持ちを補填するような何かが手に入るのであれば、

それは満たされた生活なのだろうか?
何となく、欲が無いな〜と思う。
それは取引きだろう。
自分を相手にした取引きだ。

そこまでして頑張って働いていたんだなぁ。

 

そう考えてハッとした。
これこそ奴隷の在り方ではないか。

今の、半病人のようなぼくには到底無理な生き方だ。
そもそもストレスが溜まらないような生き方って出来ないモノなのだろうか?

それこそが、『満たされた暮らし』じゃないだろうか?

 

不思議なことに、奴隷の頃は自分にとっての本当に満たされた暮らしは考えることもしてなっかた。

自分を解放する方向の思考は停止するようになっている気がする。