中央分離帯がある片側二車線の道路を車で走っていた。
ドライブスルーのあるスタバに行くためだ。
ほどなくしてスタバが見えて来た。
駐車場の入口に2台車が止まっている。
入場待ちのようだ。
その後ろに車を着けた。
よく見ると誘導員のおじさんが一人居て車に止まるように指示している。
暑い日だったので大変だろう。お疲れ様だ。
この店舗にはドライブスルーと駐車場があって、
ドライブスルーは右側の入口で、ここには車が連なって止まっている。
駐車場は左側の入口で、こっちは空いていた。
待っている2台はドライブスルー利用者なのだろう。
ぼくは駐車希望だから入れると思って、前の2台を抜かして車を入れようとしたら誘導員に止められた。
「並んでください!みんな並んでるんだから!」
と注意するような口調で言われた。
何言ってるんだコイツと思ってイラッとした。
そんなこと言ったってもう後ろに車を戻せない。
「空いてるでしょ!入れるじゃない!」
と返すと、
「みんな順番で並んでるんだから!」
お前が止めてるからだろ!と思った。
並んでる理由を知りたいのに問答になっている。
ぼくはかなり怒っていた。
「入れるじゃない!ずるいことがしたいんじゃない!」
みたいなことを怒鳴り返したと思う。
「じゃあいいです!行ってください!」
と謎の許可が出たので車を進めた、
駐車場は空いていて車は停められた。
スタバに入ってから、今のことを考えていた。
怒りでムカムカして気持ちが悪かったから、整理したかった。
誘導員が何で入場を止めようとしたのか?が分からなかった。
誘導員は、駐車場に入るのもドライブスルーも入口が同じと思っていたのかも知れない。
もう夕方の時刻で、何台も車が入って行くのを見てるから、そんな間違いは無いか。
本当に何だったのだろうか?
それはよく分からないけど、誘導員が何を考えていたにしろ、ぼくには関係無いと思った。
別にぼくには悪気は無いし、どちらかに何か勘違いがあったとしても話し合って解決すればいいことだろう。
結果的にぼくは待たずに駐車出来て希望は叶った訳だし、間違ったことはしていない。
考え直すと、何も怒る必要は無かったと思った。
そう考えてやっと気持ちがクールダウンして来た。
冷静になると何で怒っていたのか余計分からない。
おそらく、相手の剣幕に飲まれたというのはあったかな。
向こうが喧嘩腰なので、ぼくも反応してしまったのだ。
これが一番大きい理由のようだ。売り言葉に買い言葉というヤツだ。
それから、今日は何となく機嫌が良くなかったというのもあるだろう。
淀んだエネルギーが溜まっている感じだ。
このエネルギーを吐き出したいから怒ったのだろう。
気付くとだいぶ気分が良くなっていた。
いつも怒ると後々まで嫌な気持ちを引きずるのに、今日はあっさりと気持ちが変わった。
何でだろうか?と自分を観察すると、怒っているときに相手の主張の根拠と、自分の主張の根拠の
どちらが正しいのか?を考えていたと気付いた。
これは正誤の判断で、怒りとは別のことだろう。
怒ることよりも、後々まで引きずって考えていることが嫌な気持ちを誘発していると感じる。
怒っても、その後に引きずらなければ嫌な気持ちにはならないのだろう。
怒ったことよりも、どちらが正しいのか?と言うか自分の正しさに執着する在り方が、嫌な気持ちの原因のような気がする。
じゃあ、怒りは何か?というとエネルギーの発散じゃないかと思った。
怒った事自体は、怒った時に終わっているのだ。
それはそういうものだ、でおしまいにしてしまえば怒りは尾を引かない。
大体怒りというのは強過ぎるので、持続させるのは難しいはずだ。
どっちが正しいか?という判断と怒りは別となれば、怒りは長続きしないようだ。
ただ、自分の正しさに執着すると嫌な気持ちは長引く。
そしておそらくそれはネガティブなエネルギーとして蓄積されるだろう。
怒った、喧嘩した、怒鳴った、発散した、おしまい。
とするのがコツのようだ。
ひとつ自分の癖に気付けたかも知れない。
そんなことを考えながら、店を出て駐車場の入口を見ると、そこには誰も居なかった。
車はどんどん来ているのに、誘導員が居ないのだ。
さっきのアレは何だったのだろうか?
ぼくに気付きをもたらすために現れた天使かも知れない。