この↓ブログを読んで、適応障害の頃のことを思い出した。
他の人はどうか知らないけど、ぼくは家族にはどっかりと大きく構えていて欲しかった。
普通にしていて欲しかった。
神経が身体から飛び出ているんじゃないか、
と思うくらい過敏になっていたので気が休まらない。
今後の治療の方向性や病状を何度も訊かれるのは嫌。
とにかく、心配されるのは重荷になる。
放っておいて欲しかった。
実際家族にはそう伝えて、協力してもらったのでかなり助かった。
自分の病気のことで手一杯なのに、家族の気持ちのフォローまで気を回したくないのだ。
心のケアとかも、こちらが必要としていないときには放っておいて欲しい。
「そんなこと言ってるけど本当は辛いんでしょ? 話を聴くよ。」
みたいなのも煩わしい。
話したかったら話すし、話したくなかったら話さないから。
辛い話は心を許した人にしか出来ないという人も居るし、逆の人も居るかも知れない。
「歳を取れば、身体にガタが来て、耳が遠く成ったり、匂いが分からなくなったりするから、あんまり気にしないことだ。」
みたいにしたり顔で言うのも止めてあげて。
辛さとは、その事柄の大きさと、その人の受け入れられる許容量でその人にとってのショックの大きさが決まると思う。
だから、あなたにとって大してショックじゃなかった事でも、その人にとってはショックかも知れない。
それはその人が決めることで、他人がとやかく言うことじゃないのだ。
病気で気が弱っているときは、他人軸に成り易い。
言われたことに影響を受け易いのだ。ショックを受け易いということ。
やっと自分を保っている状態で、どんな種類であってもショックを受けるとダメージが大きい。
そっとしておかれるのが一番良い。
結局辛さは本人が受け止めるしかないのだ。他人はそれを肩代わり出来ない。
見守るしかない。それが一番だと思う。
患者って、自分の方が健康な人より不幸だと思っているだろう。
そしてそれは、健康な人よりも患者の自分が優遇される権利が有ると思い易いということ。
少し元気になって来ると、周囲の言い易い人を攻撃して憂さを晴らそうとすることがある。
そんなのは患者の勝手な考えなので、付き合う必要は無いと思う。
患者の機嫌よりも自分の尊厳の方が、ぼくは大事だと思う。
患者がワガママを言って来るのはある程度は受けても良いだろうけど、
侮辱したり難癖をつけて来たら、それは許せないと伝えていいと思う。
変に甘やかさないのは、患者であるその人を人として信頼しているということだ。
病気なんかに負けない強さを持っていると信じているから、対等に付き合えるのだろう。
それで縁が切れたら、それまでの付き合いだということだ。
病気になった人を身近に持つと、自分の在り方も試されるのだと思う。
それはその人と自分がチームかどうか?を問われているとも言えそうだ。
逆に言えば、その人と自分はチームとしてやって行けるところまで関係が近付いているということ。
今後チームとしてやって行けるかどうかの扉が開いたのだろう。
その先に行くかどうかは自分にかかっている。
チームとしてやって行くにしても、その役割分担みたいなモノもこのときに垣間見れる気がする。
おどおどしている人や、頭が良くても文句や愚痴ばかりの人にも頼れない。
意外な人が、黙って雑用をこなして頼れたりする、そういうその人の人間力みたいなモノも現れるようだ。
地位や立場、経歴やキャリアを抜きにして、人間として対等にその人と付き合う覚悟はあるか?
という問いを突きつけらる、そんなケースの1つが身近の人が大病を患うということかも知れない。
他の人のことは分からないけど、ぼくはそう感じたということ。