飛躍じゃなくても人が離れていく時がある。
他人との付き合いって何だろう?
知り合い、友人、親友みたいに、その関係性を分けて考えて、分かったような感覚になっていたけど、
適応障害と診断されて、人間関係がガラッと変わってしまってから全然分からなくなった。
それまで親友だと思っていた人達からは避けられたり、無視されたり、非難されたりした。
ぼく自身は何も変わっていないのに、人間関係が短期間に変わる、と言うか人がどんどん離れて行く感じ。
理由が全く分からない。
知人程度の人が去って行くのはまあいいとして、少数の心を許していた人達のほとんども去って行ったのは驚いた。
しかしそれでも何人かは離れずに残ってくれていた。
残った人達というのは、適応障害以降も、今までと同じように接してくれる人達だ。
今まで通りというのはぼくの感覚で、本当はとても大事に扱ってくれていたのだと思う。
自分は自然にしているのに、相手の気持ちが離れてしまったら、それを引き戻すことは出来ないと思う。
他人は自分の鏡だと思うけど、その中でも友人は自分を投影し易い鏡だと思う。
友人が入れ替わるということは鏡が入れ替わるとも言えそうだ。
自分が変わると鏡に映る自分の投影だけじゃなくて、鏡までが入れ替るというのも面白い。
関係性というのは、自分が一番見るべき所を良く映してくれる人同士で成立するモノなのかも知れない。
ぼくは人との付き合いはあまり長く続かない傾向があるけど、
世の中には、幼馴染みと大人になっても関係性が続いているという人が居るらしい。
ああいうのはどうなっているのか?と思う。
ぼくの感覚だと、適応障害以前と以後では、自分が別の人間になってしまったように感じる。
感じ方がそれ程変わった。
その経験から、同じ人であっても、経年変化と言うか、同じ性格、同じ好みで居続けるなんて出来ない気がする。
そういうどんどん変って行く人同士で、ずっと交友関係が続いているというのが分からない。
ここまで書いて、ぼくは自分の属性を通して人間関係を築いていたようだと気付いた。
だから、所属する組織や立場が変わると友人も変わるのだと考えると納得出来る。
それこそ適応障害になったなんてことになると、向こうは急いで縁を切るみたいな感覚の付き合いだ。
そういう関係性の築き方だと特定の人たちと長期間に渡って付き合い続けるのは難しいだろう。
とすると、長年関係性が続く人たちは属性より深い所、
より自分の本質的な部分での結び付きを実現出来ているのかな?と妄想する。
ぼくにはそれがどういうモノなのか想像が出来ないけど、得難い関係性だろうとは思う。
束縛し合う感じにならないのであればうらやましい。
話は変るとけど、たまに、初めて逢うのに全然初めてという感じがしない、
懐かしいと言うか、旧知の仲という感じがする人と巡り会うことがある。
そういう人同士の関係性は、もしかしたら幼馴染みに似ているのかも知れない。
どんな形であれ、風通しの良い、対等で自由な人間関係というのが良いな~と思う。
そういう人となら今からでも出逢うことが出来るのかも知れない。
今後また今より元気に活動することが出来るようになったら、
そういう出逢いに恵まれたら良いな~と思う。