子どもは持ったことないけど、この↓ブログには感心した。
よくまとまっていて分かり易い。
冷静な観察眼と文才の為せる技だろう。凄い。
自分のインナーチャイルドと自分の子どもとの関係だ。
ぼくは自分のインナーチャイルドを癒すと言うか、本来の状態に戻すことが出来るのは本人自身しかいないと思う。
つまり、親のインナーチャイルドを癒やせるのは親自身しかいない。
それなのに、自分のインナーチャイルドの問題に気付かず、癒さないままでいると、
自分の子どもの言動にも反応してしまうだろう。
反応に巻き込まれて我を忘れ、子どもにイライラしたり叱ったり虐待したりしてると、
それが今度は子どものインナーチャイルドの傷の原因となってしまうのだと思うのだ。
インナーチャイルドを癒せるのは本人自身しかいないと書いた。
同じように、インナーチャイルドを傷付けられるのも本人自身しかいないだろう。
親をはじめ、他人の影響は受けるけど、それがインナーチャイルドを直接傷付ける訳ではなくて、
他人の言動を理由にして、自分で自分に何かを強いたり制限することがインナーチャイルドの傷だと思うからだ。
表現上傷と書いているけど、本当は自分とかインナーチャイルドとか心などが傷付いたり、
損なわれたりすることは無いだろう。
自分の思い込みや概念、言い換えれば勘違いが自分を邪魔する、そのことを傷と表現している。
何かを勘違いしたり、自分の勘違いを観違いだと気付くことは自分にしか出来ない。
だから、インナーチャイルドを傷付けるのも癒すのも自分しか出来ないと思うのだ。
話は逸れるけど、実はこのことは自信と深く関係している。
自分を傷付けられるのは自分自身以外に存在しないと信じられることは、
実は自信の一側面だからだ。
そう信じられなければ、自分以外の何かに依存する余地が出来てしまう。
そんなことを考えなくても実際に自分を観察し続けると、自分は他人には傷付けられないという結論に辿り着くだろう。
話を戻す。
「子供は親のインナーチャイルドを察知する」
これは、子どもが親のインナーチャイルドの鏡となっているとも言えるだろう。
親に幸せになってもらいたいという思いが有るから、
子どもはその鏡になるという、しんどい役割を引き受けているのかも知れない。
元々、親のインナーチャイルドの傷のきっかけは、親の親が深く関係していると思う。
そしてその親はまたその親から、という具合に、
インナーチャイルドの傷は代々引き継がれているのではないか?と推測している。
親に叱られたのは自分のペースでゆっくりしてたからだ、と信じ込んでしまった子が居るとする。
その子が親になって、自分の子どもがゆっくりしていると腹が立ってしょうがないということが起こる。
そして、叱っても叱っても、子どもは急ごうとしない、みたいな形で親の傷を映し出すのだろう。
それを子どもの問題としている内は何も変わらない。
叱り続けると、子どものインナーチャイルドが傷付くきっかけになるかも知れない。
そうではなくて、ここで親が自分のインナーチャイルドの傷に気付いてそれを癒すことが出来れば、
代々続いてきたインナーチャイルドの傷の引き継ぎがそこで止められるのだ。
そうだとすると、その恩恵は自分だけでなく自分の家系が被ることになるだろう。
インナーチャイルドの傷の引き継ぎは沢山あるかも知れない。
その中のひとつでも自分の代で止められたら、それは偉業だとぼくは思うのだ。