ぼくもそうだったな~と思った。
『刺激中毒だった』
この言葉に尽きると思う。
そうなると、どんどん強い刺激を求めるようになって、
それに伴ってどんどん感覚も鈍くなって行くようだ。
退屈が一番の苦痛で、
そうならないように常に何かをしている。
また、それが良い事だと信じている。
これは感情にも言える。
強い感情を感じたい、そうじゃないと感じた気がしない。
冒険と奇跡の連続、楽しいことが怒涛のように起こったらいいなとか、
毎日が祭り、みたいな生活に憧れる。
刺激、刺激、刺激、もっと刺激を。
でもね~
そういうのは全部想像の世界なんだよな~
自分の思考の世界で繰り広げられていることで、
実は身体と心がおいて行かれているのだ。
「今ここ」に居ない感じだ。
いつも暇にならないように、ちょっと先のことを考えている感じ。
その分、「今ここ」に意識が向いていないから、
強い刺激しか感じられないのかも知れない。
その強い刺激には、実は副作用と言うか、負担が有る。
それは、身体や心に影響して、心身の疲労として蓄積される。
そのことに気付いて、ちゃんと身体と心のケアをしていれば大丈夫だが、
強い刺激に成れてしまうと、身体と心の声を汲み取れなくなり易い。
そうやって自分へのケアを怠っていると、あるとき何かの形で突き付けられるだろう。
ぼくの場合は、それが病気だったのだろうと思っている。
みんなが病気になる訳ではないと思う。
事故や、社会的、人間関係上の失敗みたいな形で顕現する人も居るかも知れない。
そういういわゆる挫折を経験して初めて、
自分の身体と心に意識を向けるようになるのだと思う。
感覚を味わうことの大切さ、豊かさ、楽しさが分かって来るのだ。
それが、
『「丁寧にくらす」とか、「小さなしあわせを味わう」』
になって行くのではないだろうか。
その生活の中では、激しい刺激や強い感情はあまり感じないかも知れない。
しかし、じっくり味わうことでしか気付けない、味わえない感覚というものがそこには有るようだ。
仄かで優しく、奥深く広い世界の存在に気付くと言うか。
強い刺激を楽しんでも良いだろう。
しかし、それは自分がその刺激に耐えられる状態で初めて出来ること。
そのためには自分を日常的に大切にしていなければならないだろう。
まあ、いけないことなんてないか。
大切にした方が良いかなと思う。