天と地、この間に人が居る | 自分世界探検家のブログ

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人はみんな自分の信じていることに基いて、全てを解釈しています。
だから、全ての人がそれぞれ自分の世界に住んでいるとも言えるでしょう。

ぼくはぼくの世界を探検しながら、気付いたことや発見したこと、気になったことなどをここに記録しています。

何か腑に落ちた感じがした。

今までたどっても分からなかったもつれた糸のようになってたどれなかったことが、

まるでもつれがほどけたようにスルッと分かった。

…ような気がした。

 

この↓動画を観てそう感じた。

 

 

(一部を要約する)

 

 * * *

 

よく天地という言葉がある。天と地、この間に人が居ると言う。

 

天の声とは、抽象的で普遍的な概念、方向性の指示と言えそうだ。

これに対して地の声とは、具体的で個別的な方法、実際の作業指示という感じか。

 

〇〇をやりなさい、というのが天の声で、

それを実現する方法を考えて、教育したり、必要なインフラを整備したりと言った具現化をするために必要な情報、その土地やそこに住む人々の状況や考えというようなモノが地の声かな。これはその土地土地で異なるだろう。

 

 

祖先崇拝があると生まれた瞬間から自分も独りではないとなる。過去がちゃんと有る。死んでも未来がそこに有る。すなわち、過去現在未来が本当に繋がってるってことが誰でも実感出来る。自分の祖先が居る、子どもや孫たちが居る。この一連の過去現在未来が繋がった中の自分だから、例えば今自分が調子が出ないときであっても不遇な時期であっても、世の中不遇な時もあるだろうと思える。

だから祖先崇拝みたいなのがあると、継続ってことはいつもはっきりと頭の中に在るだろう。

 

祖先崇拝っていうのは地の世界。その地と共にという所が否が応にも見えて来る。両親は何処に居たのか?祖先は何処に居たのか?どんな仕事をしてた?という、その地の世界が見えて来る。その土地でその時にどうやって暮らしてたっていう話だ。

 

ところがそういうモノが無いと、生まれた瞬間に全てが始まって死んで全てが終わるから、何やっても良いんだって話になる。

 

一方、祖先崇拝が無いと見えるのは天だけだ。何処に引っ越そうと何処に住もうと俺の勝手だ、だからどの土地にも縛られない。あるのは天だけだと。今この時何を為したら良いか世界を観て決めれば良い。どこでやるかも自分が決めれば良い。ただ自分が死んじゃったらそれで全部終わりだから、死ぬ前に何が残せるかってこと。人生ってのは。自分が生まれる前の蓄積って物が無いと思っているし、死んだ後、誰かがいろんな形で物事を継承して行くっていう気持ちも無いし、生まれた時にストップウォッチを押して、死んだ時にストップウォッチが止まるこの間に何をするか、ただそれだけだ。だから有意義な人生というのは、もう地は見えないんだから天の声を聞いて、いかにこの天の声を実現するように努めるか、これが最高の人生であるとそう思う訳だ。

 

どっちも実は要る。天の声無視して地の世界だけにこもっても、やがてそれは衰退・腐敗するし、地の声無視して天の声だけでも空回りしちゃう。もう一回世界中地に戻れという風に体制が変わるともう行き場が無くなってしまい消滅の危機に瀕する訳だ。

だから実際両方居る。

 

最近は祖先崇拝とか文化歴史の継承ってのを軽視する人が多いから、生まれて全て始まって、死んで全て終わるとしか思えない人が多い。こういう人たちは本当に大変です。自己実現と言ってるけど、言ってみれば適当に目標を決めててその目標が達成出来ない時代が来た訳で大変だ。でもこんなの継続ってことを考えたらそんなこと歴史上よくある話だから、今回はこういう世界だなと。ここはちょっとこう変えとかないと自己実現もへったくれも無いなと気付くんですけども、生まれて全てが始まって死んで全てが終わるとこれしか思っていないと、もう今の自分に執着しちゃいますよね。絶対に今自分が持ってるモノを手放したくない、絶対に後戻りしたくない、絶対に負けたくない。全ては終わりだと。

 

死んだら全てが終わると思う極めて短視眼的な生き方で生きているんだろうなと思うんですね。だから、本人が一番大変なんだと思うんですね。

 

 * * *

 

ぼくは昔から、国のために自分の命を犠牲にして敵と共に自爆するという、特攻というのが全然分からなかった。

でも、この天と地という話を聴いて、何か自分の中でハッとするモノがあった。理屈とかロジックでは無い。

だから説明しても分からない人には分からないだろう。ぼくも分からない一人だったし。

 

自分は分断された一人の人間という小さな存在ではないのだ。

大きな、先祖から子孫に続く流れの一部であり、この家の、この地域の、この市の、この県の、この国の一部なのだ。

 

人体における細胞みたいな感じだろうか。

 

だから人体を守ることが自分という個体の命よりも優先すべきモノと思える。

悪玉菌をやっつける白血球のような感じ。

こう書くと綺麗だけど、だいぶニュアンスが違う。

ただ、ぼくの国語力だとこれくらいしか表現出来ない。

 

一度敵国から攻撃されているとなると、日本人は物凄い力が発揮出来たのだと思う。

その原動力のひとつがこの先祖崇拝と表現される世界観だと感じた。

 

問題は、そのような考え方の日本人を追い詰めるように仕組んだ悪魔のような存在が居たことだと思う。

アメリカがそうだ、という簡単な話ではなさそうだし、特定のこじにゃ団体を糾弾したい訳では無いのでこれ以上は触れない。

 

言いたいのは、特攻を美化するのも違うと思うということだ。

悲劇だということには変わりは無いし、二度と繰り返してはいけないことだ。

 

それでもぼくは、特攻を思うときにどうしようもない悲しさと共に尊い何かを感じずにはいられないのだ。

その正体が知りたかったのだが、この動画を視聴してその一端が垣間見られた気がした。

 

 

この動画で言われている人の分類でいうと、ぼくは地の声を無視して天の声だけを聞こうとしていた種類だと思った。

それは思考で求めた生き方で、どこかで地の声を聞こうとしていたことを思い出した。

 

天と地が有って、その間で初めて人は生きられるのだなと感じた。

今までも天と地は在ったのだ。ただ、ぼくは地の声を無視していた。地が無いものとして生きて来たと言える。

 

それでも生きることは出来るけど、たぶん本来の自分の働きは出来ないと感じる。

 

どうしたらいいとか分からないけど、

これからは天と地両方の声を聞いて、自分の役割を果たせるような存在に成りたいと思う。

かなり遅い気付きだとは思うけど、死ぬ前に分かって良かった。