この↓ブログを読んで、以前少し関わったボランティアを思い出した。
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昨日友達と話してて、
「誰かを助けたい人」の
話になった。
「そういうことに
ハマってる人って、
自分はどうしたいの?
って聞いても出てこない」
って友達はボヤいてたのだった。
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『誰かを助けたい人』と読んで、
ボランティア活動をしている人。
を思い浮かべた。
ぼくが参加した活動は、
しっかりした何かの団体が主体で行われるというシステムではなかった。
旗振り役の人がいて、その人がイベントなどを企画する。
ボランティアでスタッフを集めて、それを実現、成功するように活動するというやり方だった。
お金を取るようなイベントも有ったけど、
儲け目的では無く、必要経費を自分たちの持ち出しにしないことが目的だ。
そうすることで、その仲間内での活動を続けるハードルを下げるつもりなのだ。
当時、少なくともぼくはそう認識していた。
しかし、だいたいは素人の集まりで、
ボランティア活動の対象の人々の意見や気持ちを聞いて取り入れることはまずしない。
当時は全く気付いていなかったし、そんなつもりはなかったのだが、今思うと、
してあげてる感、上から目線というか、何処かかわいそうで弱い人たちという目で見ていたと思う。
何しろ喜んでくれるからね~
自尊心が低い人には御馳走なんだよね。
ここまで書いたことだけで考えても、
ほとんどの非営利で不特定の仲間で不定期、短期で行われるボランティア活動は、
実は活動している人のための活動に成り勝ちだと思う。
お祭りなのだ。良いこと他人のためにしているというのが楽しい。感謝されるのが嬉しい。
そして何より仲間が居る。
自分を認めてくれて受入れてくれる良いことをする仲間が居るという甘美な感覚が得られる。
「みんな」がやっている、「みんな」が居る場所を捨てがたいという思いがだんだん大きくなって行く。
だから、みんなが進むなら、自分もそっちに行くし、活動を止めると言う仲間が居ると、止めたりするのだ。
きっと、自分の置かれた環境では疎外感や孤独を感じている人が多かったのだろう。
この仲間は何にも代えがたいと感じる。
しかし、活動の実体にいつか気付くことになる。
それは、ボランティア活動の対象の人々からの苦情かも知れない。
仲間内の金銭や人間関係の問題かも知れない。
そういう問題が分かった途端に逃げ出したくなるのは、
自分がそのボランティア活動に責任を持って携わっていないということだろう。
そうなって、それでも自分はその活動を続けるのか?止めるのか?
という問題にブチ当たる。
そう言えは、自分は何でこの活動を始めたのだっけとなって、
実は自分の考えではなかった!と気付いたりする。
ちゃんとボランティアをする人は、責任を取れると思う。
同じやるにしても、
他人軸のとしてあげるという姿勢と、
自分軸のやりたいからやるという姿勢では全然違うのだ。
そういうことを、このブログでは、
『自分の感情に繋がってない』
と表現しているのだと思った。
「良いことをしている」
「感謝されている」
「仲間が居る」
こういうのは全部思考だ。
だからやるべき、やると楽しいに違いない、というのも思考だ。
そういうことを全部横に置いても、やりたいと思えるか?
理屈や論理を向きにして感じることが大事だと思う。
そんなことを当時のぼくに言っても分からないと思う。
思考だろうが何だろうが、
やりたいと思ったことをやってみるのは大事だと思う。
やるだけやって、それが自分にとって本当にやりたいことかどうかハッキリする。
そうだったら続ければ良いし、
違っても、何が違うのかと自分に問うことから、
自分の感情に繋がるという方向に向かうと思うからだ。
長年生きて来て、自分の感情に繋がれていない人は、
いきなり繋がれるようにはなれないように思う。
自分の感情に繋がることは生きて行く上で不可欠だと思う。