他人軸の自分が自分軸の自分を責める | 自分世界探検家のブログ

自分世界探検家のブログ

人はみんな自分の信じていることに基いて、全てを解釈しています。
だから、全ての人がそれぞれ自分の世界に住んでいるとも言えるでしょう。

ぼくはぼくの世界を探検しながら、気付いたことや発見したこと、気になったことなどをここに記録しています。

褒めることはあんまりしない方が良いみたいな価値観があると思う。

 

 

相手が子どもであっても、部下や後輩であっても、

あまり褒め過ぎると、自分が褒めることの価値が下がるみたいな計算が有るのかも知れない。

 

こう考えてるのは、

相手を如何にコントロールするか?という策略が有るからだろう。

 

俗に飴と鞭という表現が有る。

飴は甘く魅力的でなければ、

逆に鞭は厳しく嫌なモノでなければ機能しない気がする。

 

 

褒める方は、コントロールするつもりしかなくても、

褒められる方は、同時に教育もされていると思う。

 

条件付きで褒めるというのは、
取引きを教え込むための行為だと思うからだ。

愛情は、自分そのままでは与えられないということ、
そして、愛情を得るためには取引きが必要であること、この2つを同時に示しているのだ。

その教育は、潜在意識への刷り込みであり、

それを教えている方は、おそらくその意識は無いだろう。
なぜなら、潜在意識から潜在意識に対して行われるからだ。


そんなつもりは無いと言われるかも知れない。

子どものためを思って教育しているのだと。

それがどうして子どものためになるのだろうか?

それは、そういう世界に住んでいると信じているからだ。

 

世界では上手にコントロールされる方が楽だ、得をする、もしく損しない。

そういう信念が有るからだろう。

もちろんそれは潜在意識での話。

顕在意識では考えたことも無いかも知れない。

 

叱るなどの鞭を使わなければ良いように思うかも知れない。
しかし、この条件付けは褒めるだけでも完成すると思う。

鞭は、それを補強するだけで、鞭が無いからと言って条件付けは無くならないだろう。

もっと言えば、これをやらないように気を付けても無駄なのだ。
まず、自分がやっていることをちゃんと知って、それを自覚して、それを止めると決めなければいけない。

つまり、自分の潜在意識に刷り込まれている条件付けを外さないといけないのだ。

それをせずに、顕在意識だけで条件付けは止めようと考えても無意識でやるだろう。

咄嗟のときにやるだろう。ついやってしまう。

それらは巧みに顕在意識の注意をかい潜って気付かれない。
そして、子どもはちゃんとその条件付けを受け継ぎ、気が付けば、愛情の取り引きをしているなんてことになるのだ。

 

愛情の取り引きが巧みな子どもは良い子と言われる。

 

それが良いとか悪いと言う話ではない。

 

ただ、良い子は普通、自分が分裂している。

本来の自分と、対外的な交渉を行う自分だ。

自分軸と他人軸と言い換えられる。

 

この自分の中の分裂が、

自分の中での葛藤を生むだろう。

と思ったらこの↓ブログを読んだ。

 

ぼくが考える、自分の分裂に至る経緯はこうだ。

 

親などから、やりたくないことを強要される。
やりたくない自分が拒絶しようと頑張るが、親は力と論理と取り引きで攻めて来る。

そうやって、本意ではないことをやらされ、やらされたのにその後で褒められ可愛がられる。

親は自分は完全に正しいと思って仕掛けている。子どもを良くするための教育だと。完全に他人軸だ。

子ども側は正しいから逆らうんじゃなくて、感覚的に嫌だから逆らう。間違っていると言われると反論出来ない。何にも依らない自分軸だ。
 

そういう経験の積み重ねが、自分を自分軸と他人軸に分割させるんじゃないかと思った。

 

自分責めは、

他人軸の自分が自分軸の自分を責めるんだと思う。

 

親などの外圧から引き継いだ思考の集合体が、本来の自分を責めるのだ。

 

(他人軸の自分はその人の血統に代々受け継がれているのかも知れない。)

 

自分責めの止め方のヒントが上の↑ブログには書かれている。

 

 * * *

 

本当に根深いものは、
正直、誰かのサポートがあった方がいいと思う。

手強いのでその方が楽だし早いし、人生変えやすい。

割とねー、根深いんだよねー、自分責めの闇って

セルフでやるとしたら、
「責められた自分がどう感じているか?」
に、注目するといいと思いますよ

 * * *

 

ぼくは、誰かのサポートを受けた記憶は無い。

 

ぼくは拗ねまくっていたから、

他人に自分の心の内をさらけ出すなんて出来なかった。

 

自分でやるべきことだと思っていた。

 

カウンセラーなどの助力を仰ぐと、効率的なのかも知れない。



「責められた自分がどう感じているか?」

とは、本来の自分を知ろうとすることだと思う。

 

これはコツを掴むまでは大変だけど、

一度慣れると効率良くいつでも出来るし、

かなり有効な手段だと思う。

 

いずれにしても、自分責めを止めたいと感じたら、そこから生き易くする決断をしないと、誰も助けてはくれない。

他人が助けたいと思っても、本人が変わるつもりがなければ助けようがないのだ。


自分が変わると書いたが、本来の自分は変わらない。
本来じゃない自分、自分が創り出したイメージの自分を変えるということ。

自分が持っている自分のイメージは、本来の自分とは違うのだと認識すること。

そして、本来の自分を最優先にして、本来の自分とは違う自分のイメージを守ることを止めること。

自分のイメージに明け渡していた主体性を本来の自分に取り戻すと言っても良いかも知れない。

思考とは、本来の自分が使うツールでしかなく、
本来の自分と思考は全く別のモノだ。
そして、自分のイメージは思考の中に存在している。

つまり、自分のイメージは思考だと知る必要がある。

自分を責めるというのは、自分よりも思考を優先しているときに起こる現象だと言えよう。

本来の自分が主体性を取り戻せば、自分を責めることは無くなるのだ。