自分は副腎疲労じゃないか?
と思うようになって、健康や疲労に対する考えが変わった。
疲れないように見える人は、
ぼくとは身体の作りが違うのだと諦めていたが、
のんなこと無いかもと思い始めている。
ぼくは疲れなかったことがないと思う。
そういう体質なんだと思っていた。
そして、仕事とは疲れるものだと思っていた。
それもまた思い込みなのだろう。
ブログにはこんな言葉が。
『波に乗ってると人間は疲れないのだ。』
瞬間的にはそういうこともあったかも知れない。
しかし、いくらやっても飽きないとか、疲れないというモノには出逢ったことが無かった。
今までのぼくは、
喜びや刺激を仕事の結果に求めていたと思う。
上手く行ったら喜び、上手く行かなかったら惨めになる、みたいな。
慢性的にスッキリしない状態から脱却するには、
生活習慣を変えなければいけないと思う。
そして、それはちょっと変えては自分の身体の変化を感じる、身体に訊くということの繰り返しだ。
身体と会話しているような感覚がある。
今まで全くそんな風に身体を労わったことがなかった。
面倒くさいと思っていた。
でも、実際にやってみると、何となく愛着のような気持ちを薄っすら感じる。
楽しい!
とか、
嬉しい!
なんて強い感情ではない。
もっとほんのりとした気持ちだ。
生きて行くのに必要な感情が有るとしたら、
それはこのようなほんのりした気持ちかも知れない。
楽しい、嬉しい
とか、
悔しい、悲しい
といったハッキリした感情は
日常的に感じ続けるには、ぼくには強過ぎるような気がする。
もしかしたら、やっていることは関係無いのかも知れない。
何をやったとしても、波に乗れれば疲れないのかも知れない。
だから、日常的に従事する仕事も同じかも知れない。
強過ぎる感情や刺激を受ける仕事は、
元々ぼくには向かなかったんじゃないだろうか。
そういう意味では、
何を仕事とするか?
ではなくて、
どのように従事するか?
の方が重要なのかも知れない。
これって、人付き合いとか、パートナーシップなど、
いろいろなことに言えそうな気がする。
これは考えていることで、身体を使って確認はしてないので確信はないけど、
今はそんな気がする。
『波に乗ってると人間は疲れないのだ。』
という文章の意味を取り違えていたかも知れない。
波に乗っているとは、
ほんのりした気持ちを感じ取れて、
それが途切れないようにすることじゃないかと思った。