情報番組などで、
〇〇が健康に良い!
と紹介すると、翌日スーパーに行くとその〇〇が売り切れている、
みたいなことが起こる。
健康に良い食べ物は沢山有るのに、
今、何故それに注目するのか?
というところに作為を感じる。
テレビが流す情報が正しいかどうか分からないし。
だいたい、健康に良いからと言われたからって、
それがすぐに食べたくなる訳じゃないだろう。
なんでみんな同時に買うのだろうか?
すごく不思議だと思っていた。
しかし、自分にもそういうところが有るのではないか?
と自分を観察して気付いたことがある。
あれって条件反射じゃないか?と思う。
自分で考えてないということ。
考えないのは考えられないと思っているからではないか?と思った。
これはもう、小学校からの刷り込みだと思う。
先生に言われたことを守る、
みたいなことをずーっとやってるから、
テレビや新聞なんかが、先生の役をしているのではないか?
と思う。
命令されるのを待っているのではないか?と思わないでもない。
生徒の頃は、自分の判断で行動すると怒られる。
団体行動で、先生に迷惑をかけないことを叩き込まれる。
だから、自分で判断せずに、先生からの指示を待ったり、周りの生徒の動向を見るようになる。
言われたからやる、みんながやるなら自分もやる、という訳だ。
それはもう潜在意識での判断なので、
顕在意識でも自分の意思でそうしていると勘違いしている。
不自由だとも思わない。
自分で判断することは、自分の未来に責任を持つことだ。
自分が選択したことをやって、失敗したり損しても誰のせいでもない、自分のせいだということ。
どういう結果になっても、自分の判断でやったということは変わりない。
それこそが自由だと思う。
しかし、それよりも失敗しないこと、損しないことの方が大事だと刷り込まれている。
不自由で居ることよりも、失敗しないこと損しないことを選ぶ。
その根底には怖れがあるのだろう。
どこか自由に振る舞うと怒られる、
酷い目に合うというのが刷り込まれているのではないかと思う。
顕在意識では分からない潜在意識でそう信じていていると思う。
そう教育されていると言うか。
芸能人や情報を発信する立場の人の、
言ったことに非難が集中することがある。
表面上は怒りから非難しているのだろうけど、
本当は、自分で自分に禁じていること我慢していることを、
その発信者が言ったりやったりするからだろう。
見せつけられる、当てつけられるみたいな感じじゃないだろうか。
でも、感情が出て来るということは、
本当は自分でも我慢を止めたいと感じているんだと思う。
そう考えると、非難するのは、その人の言動の自由さに憧れているからかも知れない。
自由になりたいという気持ちが抑え切れなくなって来ているのだ。
不自由のまま動かないで居ると、
その閉じられら狭い空間が自分の安全地=コンフォートゾーンになる。
コンフォートゾーンから出るタイミングが来ていると感じているけど抵抗している。
あたかも、朝が来て、起こしに来た親に悪態を吐いている様な状態だろう。