やりたいからやるときは、責める気持ちは湧かない | 自分世界探検家のブログ

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人はみんな自分の信じていることに基いて、全てを解釈しています。
だから、全ての人がそれぞれ自分の世界に住んでいるとも言えるでしょう。

ぼくはぼくの世界を探検しながら、気付いたことや発見したこと、気になったことなどをここに記録しています。

昨日だったかな。

スタバでトイレに入ったら、少しゴミが落ちていた。

踏まれたトイレットペーペーのようで、コヨリのようにねじれて汚れて汚く感じた。

 

放っておいて用事を済まそうと思ったが、

どうしても気になって、ゴミを片付けた。

 

すると今度は、床が濡れているのが気になって、

これもトイレットペーパーで拭いた。

 

スッキリした気持ちで用を足して、自席に戻った。

 

持って来た本を取り出し、読み出した個所にこんなことが書かれていた。

 

 * * *

 

例えば、

「ゴミを捨てるのは間違っている」

を、

「ゴミを捨てるのは美しくない(なので見つけたら、拾っておこう)」

のように考えるのです。

 

「こうしないといけない」、「こうあるべき」

というギチギチした感じより、

「こうしたら楽しいし、嬉しい。だからこうしたらいいんじゃない?」

という感覚です。

 

いろいろなものをレッテルづけする習慣をやめると、とてもラクになります。

 

(中略)

 

誰かや何かを責めたてることに時間を使うよりも、

その状況から何を学び、今、自分は何ができるだろうかと知恵を絞るほうが、よほど健全です。

私たちが真に願っているのは、競争ではなく、協力のほうです。

 

 * * *

 

まるで、今さっきやったことの解説のようだ。

 

そう言えば、

トイレのゴミを見ても、

汚した人や掃除してない店員を責める気持ちは湧かなかった。

 

単に、綺麗にしたいという気持ちだけだった。

 

だから、掃除したという風にも思っていなかった。

単に、願い通り綺麗になって良かったという感じだった。

 

 

こういう感じで物事が進んで行けば良いな~と思った。

 

流れに乗っているというのはこういうことかも知れない。

 

 

それにしてもまた綺麗なシンクロが決まったな~と、

この時思ったのだが、今まで忘れていた。

 

老化だろうか?

 

 

いちいち覚えているレベルは通り越したということにしておこう。