他人のアドバイスを参考にする、
というのは自分のためになるだろう。
でも、自分の意見や在り方を否定するようなことを言われても、
基本無視してOKだと言う。
今までのぼくだったら、
そう言われても、どこまでをアドバイスとして聞き入れるか、
どこからが無視して良いのかは判断が難しいと考えただろう。
それは何でだろうと考えた。
それは、全ての選択には正解が有って、
その正解を選択することにしか意味が無いと思っていたからだ。
正解かどうかはどうやって判断しているだろう。
思考によって、判断基準に照らして判断するだろう。
倫理的に、
論理的に、
常識的に、
正しいかどうか。
公序良俗に反していないか。
おかしくないか。
他人に文句言われないか。
損しないか。
カッコ悪くないか。
そんな感じで、結局自分の意見では無くて、
外の何者かの判断を気にしていると分かった。
他人軸になっていたのだ。
これとは別に、
自分が心地良く居られるかどうか、
を判断基準にしたらどうだろうか?
判断は非常にシンプルになる。
しかし、それによって、
倫理的に、
論理的に、
常識的に、
間違っている。
公序良俗に反している。
おかしい。
他人に文句言われる。
損する。
カッコ悪い。
そういうことになるかも知れない。
と、ここまで書いて、
これか!
と思った。
こういうこと考えるから、自分軸に成れなかったのだ。
そういうことを重要視しない在り方を選ぶということだ。
自分が心地良く在ることは最優先にするということだ。
正しさや損得よりも、
自分の好みで選ぶと言うか。
そうなって初めて、
「いつも正解は自分の内側にある」
と言えるのだろう。
そうでないと、思ったように生きられないと思う。