申し込んだウェブセミナーのLive配信のアドレスの連絡が来なくて視聴出来ず、
参加費を返してもらったことを書いた。
お金は返してもらったが、
何の連絡も無いので、
事の顛末も分からない。
本当にこのセミナーは開催されたのかすら知らない状況。
以前のぼくなら怒っていたと思うが、
今回は全く腹が立たない。
これはぼくの在り方が変わって来ているからだと思う。
以前は正義や権利、義務といったことに重きを置く在り方だった。
しかし今は、出来るだけ嫌な気持にならないことに重きを置く在り方にシフトして来ている。
シフトし切っていないと思うのは、やっぱりこのことを考えることが多かったし、
何よりこの事件が起こってすぐにはブログに書けなかったからだ。
それでも腹が立つということは無かった。
それよりも、この事件から何が学べるかな?と考えた。
間違いや失敗を犯したときは、
謝ったり、自分を責めるのが普通だし、当たり前だと思っていた。
むしろそうするべきだし、そうすることで同じ間違いをしなくなると信じていた。
この前提として、間違いは悪いこと、
間違う人は悪い人という考えがあるだろう。
でも、本当にそうかな?
間違いって悪いことなのか?
間違わない人はいないと思う。
もちろん、成功や発見を求めていろいろなことをする。
しかし、その前には「間違う」という試練が有るものじゃないか?と思うのだ。
だとしたら、それを悪いこととして避けようとするのは、
ちょっと無理が有る気がするのだ。
では、逆に「間違う」ことを前提としてみたらどうだろうか?
間違った/失敗した自分を自分で責めることは減るだろう。
そして、間違った/失敗した他人のことも責めないで居られるようになるはずだ。
間違ったのに謝らない。
間違った癖に、悪びれることも無く平気な顔をしている。
あいつは失敗したから信用出来ない。ダメな奴だ。
失敗したような奴には、そこら辺の草でも食わせておけ!
後半は偏見やいじめのようになっている。
こういうのはやられる方は堪らない。
しかし、結構見落とされガチだが、
やる方も結構な負担なのだ。
こういう無駄なことを止めれば、
どれだけのエネルギーを浪費せずに済み、
要はどれだけ楽に楽しく生きられるか!?
ぼくはそんな風に考えるようになって来ている。
そうなって来ると、
今度はこう思うようになって来た。
間違いは悪いこと、間違う人は悪い人という考えは、
人の可能性や才能を封じる呪いではないか、と。
これとは違う働きをする別の呪いも有るだろう。
いっぱい有るんじゃないかな?
科学万能と言われる現代。
こういう時代こそ、
実は、呪いが有効に機能しているかも知れない、
と言ったら言い過ぎだろうか?