今読んでいる本に次のような文章があって、
読んだ瞬間に不思議な感覚を感じた。
* * *
イライラしたり落ち込みやすいのは、
あなたが限界を超えて頑張り過ぎているからです。
* * *
同じようなことを表現している文章は、
今までにも何度も読んで来ている気がする。
しかし今日は、
知りたかったことが目の前に文章化されている!
とか、
今、自分の中に在るイメージを表現した文章はこれだ!
というような、一種の快感を伴う到達感のようなモノが来た。
この文章を読む前、
ここしばらくの間、落ち込んでいないなと思っていた。
そして最近は、イライラすることが減って過ごし易いと感じていた。
イラッとすることがあっても、それが自分の一部で、
それ以外の場所からイライラしている部分を観察している感じになる。
「あ~イライラしてるんだね~」
そう思うとイライラがす~っと消えて行く。
こちらの方が楽で良いけど、
以前のイライラが持続する感じは何だったんだろうか?
と不思議だったのだ。
そして、上の文章を読んだときに、
最近は全く頑張っていないもんな~と
思って、そう思っている自分が面白かった。
おそらく、
上の文章の内容は、顕在意識では分かっていたのだろう。
日本語としては理解してるという感じ。
でも、潜在意識では知っていなかったのだ。
それが今日潜在意識がその知識を吸収したのだろう。
自分の経験を概念として落とし込めた、
知恵がついたということかも知れない。
ぼく流に言えば、
知ったと言うことだと思う。
これが知恵がつくという経験だとしたら、
知識を詰め込む机上の勉強だけでは知恵はつかないことになる。
その知識(概念)と自分の中にある感覚や経験が結び付いて智恵になる気がする。
そう考えると、
知恵を付けるためなら、
歳を取ってからの勉強は有用だということになるだろう。
若い内に知識を仕入れておいて、
その後の人生経験でそれらの知識が知恵になるというのもあるだろう。
本来の勉強はそのためにするのかも知れない。
しかし、智恵が付く快感を知らないで、知識だけ詰め込もうとするから、
勉強が苦痛になるのかも知れない。