自分で封印していた「本当の欲求」に気付く | 自分世界探検家のブログ

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人はみんな自分の信じていることに基いて、全てを解釈しています。
だから、全ての人がそれぞれ自分の世界に住んでいるとも言えるでしょう。

ぼくはぼくの世界を探検しながら、気付いたことや発見したこと、気になったことなどをここに記録しています。

このブログを読んで感じたことが有った。

このブログの内容は、

ブログ主の造語や、

独自の概念が前提として出て来る。

だから、頭ではよく分からなかった。

 

でも、この部分を読んだときワクワクした。

 

 * * *

 

パートナーシップを

組んでる人たちの

「中の人」の声を聴いていく。

 

(中略)

 

たびたび出てくる怖れを

シェアしながら、

 

「中の人」がしたいことを、

丁寧に感じていく。

 

そうやって「中の人」を

ちゃんと発動させていった結果…

 

(中略)

 

もう~っ、

インスピレーションの掛け算の嵐!

 

オトネリ会はずっと、

「中の人」で作ってきたけれど。

 

今回、

初めて色んな人と絡んで、

 

「中の人」の掛け算が

増していっている感覚がある!!

 

こんなにみんな、

「中の人」全開で作ったクリエイション、

どうなっちゃうんだろう??

 

 * * *

 

「中の人」というのはよく分からないが、

ぼくは、

善悪や正誤、損得のような判断を外したときに出て来る

本当の欲求みたいな感じかな?と置き換えて読んでいた。

 

そういう場に身を置きたい。

そういう状態でモノ造りをしたい。

そういう「欲求」に気が付いた。

 

それは新しく湧き上がって来たと言うよりも、

ずっとすぐそこに在ったという感じだ。

見過ごしていて気付かず忘れていたのに、今急に気付いた!

という感じの気付きだった。

 

昔はその欲求に沿って活動していた気がする。

それがいつからか、モノ造りの経過そのものよりも、

モノを造るという結果だけを求めるようになってしまった。

 

自分を内観すると、

それはモノ造りに限った話では無かった。

 

何をするにも、

結果を出さなければ、

成功しなければ、

出来なければ意味が無いという価値観を元に

生きるようになっていた。

 

だから、どこに行って、誰と会って、何をしても、

出来るか?出来ないか?だけを求められ、

出来ない自分が責められて、

出来ない自分はここに居ても価値が無いと思われて、

孤立していると思っていた。

 

しかし、そう思っていたのは他人では無かった。

他ならぬぼくがそう考えていただけだったのだ。

 

言い換えれば、そういう世界にしていたのはぼくの考えだったのだ。

自分でそういう世界に住みながら、

誰にも受け入れてもらえない、

何もしたい事が無いと、

途方に暮れていたのだ。

 

しかし、ブログを読むことがきっかけとなって、

そういう現状に気付くことが出来た。

 

今も状況は何も変わっていない。

でも、何となくワクワクする。