このブログを見て、内容よりも気になったのは書だった。
なんて書いてあるのか分からない。
おそらく上の文字は”湧”だろう。
下の文字が何だか全然分からない。
イライラする。
そのうち嫌な気持ちになって来た。
これを見てパッと読める人もいるのだろう。
書道経験者は読めるのだろうか?
いや、普通読めるのではないか?
ぼくの感覚がおかしいのだろう。
そんなことを考えている自分に気付いた。
読めない自分を責めているのだ。
嫌な気持ちになったのはそのためだろう。
この気持ちを変えたいと思った。
嫌な気持ちを吹っ飛ばしたい。
読めない。それはしょうがない。
ぼくが読める文字ではないということだ。
書家は達筆かも知れないけど、
気持ち良くぐにゃぐにゃ書いてるのかも知れないけど、
その書き方だとぼくは読めない、ということだ。
ぼくにはその文字は癖が強過ぎるのだ。
そうか!
達筆だろうが、偉人の直筆だろうが、
ぼくには読めない文字はあるのだ。
読めない文字は、
ぼくにとっては癖字なのだ。
そう思ったら、気持ちが治まった。
「読めなかったらそれは癖字」
冗談みたいだが、ぼくにとってはちょっとした発見だった。