ぼくと同じ景色を見ている人はいない。
なぜなら、同時に同じ地点に複数の人は存在出来ないから。
例え、横に居ても上に乗っていても、ぼくの目の在る位置には、
他人の目は存在出来ない。
そして、ぼくが居なくなった後に、
ぼくの居た場所から景色を眺めたとしても、
それはぼくが見た景色とは違うだろう。
言い換えると、
ぼくはぼく独自の方向から世界を見続けている。
全ての人は、みな独自の方向から世界を見ながら生きていて、
その景色は他人と共有することは出来ないのだ。
視覚からの情報だけ考えても、みんな違う情報を得ている。
これは五感全部に言えるだろう。
つまり、みんなそれぞれ異なる情報を元に世界を認識しているのだ。
世界に対しての見解はみんな違ってもおかしくないだろう。
人の数だけ世界観が有るのだ。
だから、自分の情報から考えたら自明のことに対して同意を得られないと、
その相手に対して理解が出来ない。
それで、何かレッテルを貼ることで自分の世界での位置付けを決める。
それは例えば、バカ、間違っている、嘘をついている、何か悪だくみをしている、悪い奴、
などなど。
こうなるのもいくつか勘違いが有るからだろう。
・世界に対して、みんな自分と同じ情報を持っている。
・みんな自分と同じ経験をしている。
・自分の考え方や考えが普通で、みんな同じようにするべきだ。
・自分は世界を知っている。
とかね。
今日は急にそんなことが思い浮かんだ。
自分と同じように世界を見ている人は居ないと自覚しながら生きるとはどんな感じだろう。
孤独を感じる?
他人の意見に左右されなくなる?
自分は世界の一部しか知らないことを自覚しながら生きるとはどんな感じだろう。
恐怖を感じる?
謙虚になる?
こういうことを自覚する先に、何となく自由が待っている気がする。
* * *
から引用。
ある日、6人の盲人が象を触ってその正体を突きとめようとしました。
1人目は象の鼻に触り、「象とは蛇のようなものだ」と言いました。
2人目は象の耳に触り、「象とはうちわのようなものだ」と言いました。
3人目は象の足に触り、「象とは木の幹のようなものだ」と言いました。
4人目は象の胴体に触り、「象とは壁のようなものだ」と言いました。
5人目は象のしっぽに触り「象とはロープのようなものだ」と言いました。
6人目は象の牙に触り、「象とは槍のようなものだ」と言いました。
それから6人の盲人たちは長いこと言い争い、それぞれが自分の意見を譲りませんでした。