悩むというのは、思考してスッキリしない、
納得して良い気分になれないことかな?と思う。
それで何度も同じことを考えて止められなくなってる。
だから、その思考を終了して抜け出すことが悩みの解決と言える気がする。
思考が嫌なら止めれば良い。
それが止められないとは、どういうことだろう?
言葉の表現では「止められない」と受け身になっているが、
実は「止めない」が正しいと思う。考え続けることを自分で選んでいるのだ。
そうなるにはいくつか理由が有る気がする。
ぼくの場合を振り返る。
1つは、思考こそが自分だと思っていて、思いついたことは考えないといけないと思っているから。
よく自分を観察すると分かるけど、自分は思考ではない。
だから考えるか考えないかを選べる。
それが分かっていなかった。
「我思う、ゆえに我あり」を我流に解釈して、
自分=思考と信じていた。
1つは、思考は絶対間違いないと思っている。
答えが間違うのは正しく考えられなかったからだとも思っているから。
自分でも謎なくらい、このことに対しては絶対の自信を持っていた。
1つは、自分が平穏で快適で在ることよりも、正しいく在ることを選んでいるから。
正義中毒と言えるかも知れない。
1つは、疲れているから。
抑うつ状態になると分かるけど、思考が止まらなくなることがある。
自分を責めたり過去を悔やんだり、とにかくネガティブなことを考えている。
いろいろ考えているつもりだったが、おそらく数個の話題を繰り返し考えた気がする。
これは止まらない。
そこまで行かなくても、悩むという状態はやっぱり疲れていないとならない気がする。
1つは、自信がないから。
自分を受け入れていない、好きじゃない、愛していない、
自分は弱く愚かな存在だと思っている。
だから自分の感覚で決まらない、決められない。
それで思考に頼ろうとする。
自分で考えても、他人の意見を聞いたとしても思考は思考で自分ではない。
どんな結果になっても、その責任を自分で負わなくて済むというのもあ有りそう。
1つは、暇だから悩むことを選択している。
特に生産性も無く、時間を浪費する事柄を娯楽と言うなら、
悩むのも娯楽の一つだと思う。
暇で何もしないでいるよりは悩んでる方がマシという感じかな。
こういうのは潜在意識での思考や判断なので、
ぼくが気付かない内に働いて選択しているようだ。
自分を観察していて、どうもこういうことらしいという推測だ。
こういう自分の中で起こっていること、その仕組みみたいなモノが分かると、
悩むということが減らせるように思う。
ただ、これを頭で考えて納得したから悩まなくなる、
ということでは無い。
やっぱり潜在意識で納得しないと効果は少ないようだ。
それにしてもこういう視点を持っていると、
悩みで頭グルグル状態になったときに、
抜け出すきっかけが掴めるかも知れない。
コツは何を(what)悩んでいるか?
ではなくて、
どのように(how)悩んでいるか?を観察するということ。
悩みの中から見るのではなくて、
悩みから出て、全体を眺める感じかな。
ここに書いたことはぼくにはまだ難しいことも有る。
でも、今日は出来ている気がする。