『ぼくは自分でLGBTは好きじゃない。
何となく気持ち悪いと言うか、一緒に居ると居心地が悪いだろうなというような感覚が有る。』
そんな風に思ってたけど、
同時にそう思うことが窮屈と言うか、
何も考えないで他人と交流が持てるようになれると楽だろうな、自由だろうな
とも思っている。
だからと言って、LGBTについて勉強しようとかは無かった。
ぼくの周りではLGBTが話題になることは無かったし、やっぱり出来れば触れたく無かった。
そんあこと考えるのは面倒くさいというのも有った。
テレビを観ていたら、
外国人らしき風貌の若い女性が出て来た。
弁論大会の1シーンらしく、何かを一人で語っていた。
笑顔で穏やかな口調ながらはっきりと丁寧に意識して話される日本語。
ちょっと好感が持てるな、この人嫌いじゃないと思った直後にこう聞こえた。
「私はLGBTのL、レズビアンです。」
この瞬間に気付いた。
ぼくはLGBTが気持ち悪いと思っていたけど、
ぼくはLGBTに対して自分なりの概念=イメージを持っていて、
このイメージが気持ち悪いんだ!
これって、ぼくの中の差別の基本的な構造だと思う。
差別の対象は、外に居る特定の人たちではないんだ。
その人たちに持っている概念=イメージ、自分の考えを嫌っている。
そして、その自分の考えを他人に投影して見るので、その人たちを嫌いだと勘違いするのだ。
LGBTは気持ち悪いものだという確固たるイメージを持っているとする。
私はLGBTだという人が現れる。
だからその人は気持ち悪いと考える。
その人を見てないんだな。
差別等のいうのも独り相撲のようだ。