冗談への反応から世界観が垣間見えた | 自分世界探検家のブログ

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人はみんな自分の信じていることに基いて、全てを解釈しています。
だから、全ての人がそれぞれ自分の世界に住んでいるとも言えるでしょう。

ぼくはぼくの世界を探検しながら、気付いたことや発見したこと、気になったことなどをここに記録しています。

 


愛読しているアメブロが有るのですが、

そこに何の脈略も無く添付されていた画像がこれでした。

 

これを見て、ショックを受けたという話です。

全く面白いとは思えないのは当然ですが、

それだけじゃないのです。

 

これをを思い付いて面白いと思った作者が居る。

これを見て面白いと思った賛同者が居る。

しかもその一人はぼくが愛読しているブロガーだった。

それが全く信じられなくて、そんな信じられない世界に自分が居るのか?

と気持ちが暗くなるような感じでした。

 

自分でもそんなにショックを受けていることに驚くほどでした。

これは自分の潜在意識で信じている「信念」に関係していると思いました。

それで自分の中、潜在意識で何が起こったのかを観察してみました。

 

 

子どもが母親に対して日頃の感謝を伝えているのに、

母親は子どもの存在自体を否定した、

という風にぼくが受け止めていることが分かりました。

 

その根底には、ぼくの孤独感が有りました。

ぼくは誰にも受け入れてもらえないかも知れない、

でもそれは認めたくないという思いです。

 

ぼくは何も秀でたモノが無く、

誰の役にも立っていないと思っていて、

そんな人は受け入れてくれる人は居ないかも?

でもそれは認めたくない、世界はもっと優しいはずだ

となっているようです。

 

役立つ者しか受け入れられないという怖れを

そのままマンガ化されて見せつけられたような状況なので、

それはショックを受けるだろうな、とぼく自身は納得出来ました。

 

こう解読して行くと、

孤立して生きている訳でもないのに、何でそんなに孤独を感じているのだろう?

と自分でも不思議になりました。

 

これはぼくの人間観とか世界観のようです。

 

他人はそんなに優しくない。

他人に認められるためには、

他人より優れていたり、役に立ったりする必要が有るという考えです。


自分の生き抜く力を信じていないんですね。

誰かに助けてもらわないと生きて行けないみたいな。

 

そう思い至って気付きました。

 

冒頭に挙げたような冗談が面白いと思える人って、

おそらく自分の生き抜く力を信じているし、

困ったときは誰かが助けてくれることを疑っていないのでしょう。

 

自分を信じ、他者を信じ、世界は優しいということを信じている。

だから、言葉でどんなことを言っても、

受け入れられていることが前提だから面白いと思える。

 

「またまた、(本当は思ってないくせに)そんなこと言って」

と思ってるから面白い冗談だね、となるのでしょう。

 

親が子どものことを愛しているのは当たり前じゃん!

みたいな。

 

こうやって考えて来ると、

こっちの方が素直な感じがしますね。

ぼくの考えは拗ねてる感じがする。

 

冒頭に挙げたような冗談は、

面白いとは思わないけど、

微笑ましい気がして来ました。