ぼくは言わなくても気持ちを分かってくれる人のことを
相性が良いと言うと思っていました。
だから、
考えていることを全部説明しないと伝わらない人は
面倒くさいと思っていました。
考えていることを全部説明しても伝わらない人は
おかしいと思っていました。
そうやって付き合う人を選んでいたとしたら、
とても狭い付き合いの中で生きて行くことになります。
それは多様性という意味では自由度が低い生き方だと思います。
それが他人に対してだけならそれでも良いのかな、と思います。
しかし、同じことを自分に対してもしているとしたらどうでしょうか?
自分の中から出て来る思いや欲求、感情などが、
自分の考えや価値観に合っているかチェックして、
合っていないモノは認めないし出さないのです。
自分の自由度を制限し、
自分の可能性を狭めている訳ですから、
それは非常に辛い状態です。
自分の考えや価値観でチェックして、
出て来る結果は思考の結果だと思います。
ここで在り方が2つに分かれるのではないでしょうか?
ひとつは、思考の結果に無条件で従うという在り方。
ひとつは、思考の結果と自分の欲求のどちらに従うかを図る在り方。
言い換えれば、
思考に使われる在り方と、
思考を使う在り方です。
ぼくは長いことずーっと後者でした。
例えばこういう考えが有ります。
「タバコは身体に悪い。」
未だにタバコを吸う人はいます。
ぼくはタバコを吸わないので、
タバコを吸い続ける理由はよく分かりません。
でも、タバコを吸っている友人に
止めさせようとは思いません。
それは、その人の自由だと思うからです。
その人にはその人なりの理由が有って
タバコを吸っていると思うからです。
ぼくの中の「タバコは身体に悪い。」という考えよりも、
その人の在り方を優先しているつもりです。
でも、ぼくの車の中ではタバコは禁止してます。
臭くなるからです。
その人の在り方よりも、自分の快適さを優先しているのです。