私が知るツインソウルは、この世に一組だけ、いました。なんて、書いてしまうけど、私の感覚に全て頼り切った判断だから、果たして真相なんて……まぁ、そんなものはないんだけどね。
そう。この世にツインソウルとかツインフレームとか、その概念自体も人によって違うから、ものの定義なんて曖昧。それよりも、自分の心の内側に沸き起こったものが、真実に違いないんだよね。自分の心が全て決めて良いと思うんだ。世界なんてそんなものだろう?
それで、そのツインは男女だったんだけどね、年の差も多少はあったね。強烈な人と人との『絆』という強い光を発光して、たった数年で散らしてしまって、今はもう一緒にはいなくなってしまいました。その光の強烈さを今でも覚えてるんだけど、もし世の中にツインという概念があるなら、彼らがそうだろうなと思う。
私といえば、最近、今まで仲良くしてた友人たちとめっきり繋がりを感じないどころか、もう仲良くする機会はなくなるんだろうな、って感じることが多くなりました。一緒にいることに楽しくないどころか違和感を感じる。違う場所に居るなぁって。私の周りの人間関係がすっかり変わってしまいました。あの時は一緒の場所に居たと感じていたのは私の思いかぶりなのか、今はバラバラ。でも、一緒に居たいと思う心もないから、人って変わるんだなぁ、って実感。
ここ最近、自分の人生を生きる、ということに、フォーカスをあてています。私は今までエンパスを乗り越えることに必死で、ようやっと自分以外のエネルギーを客観的にみれるようになってきました。他人は他人の人生を生きてるんだから、ほおっておいて良い、っていう考えに至ったからだと思うんだけどね。今の職場でも飲み込まれないようにって必死にいる中で、自分は強くなろう、って決意して。自分の境界線を強めてきたつもり。その過程で、どうしても必要なことが起きている。まさに今。私の意思行動の判断は、正しいか正しくないかという価値基準に基づいていたんだけど、それっていうのは、私の育った家庭環境だったり、親のしつけ、まぁ主に親のしつけだったんだけど、それによるもので。実際のところ、今のあたしにはそれはいらないんだよね。手放して、ハートが価値基準になることが、私が望んでいること。そのために、今、こんなに苦しいのかな、って思う。これは、時がくればやわらかくなっていきそうね。
私は私を生きるから、
あなたもあなたを生きて。
それで道が違おうと、それはしあわせなこと。私もあなたも自分が自分でいられるのだから、結果がどうであろうと、それはとてもしあわせなこと。きっと、地球という星で繋がっているから一緒だよ。
ハートで生きるためには、私は、どうやら喉のチャクラの詰まりを開放してあげたいところなんだけどね。まぁ、チャクラの状態がパーフェクトになったら個性なんてなくなっちゃうし。幸いにも私は感じる部分が強いタイプなので、見えなくても聞こえなくてもうまくしゃべれなくても、それ以外のギフトで、私は幸せを感じているから、それでいいんじゃないかな。
もう、楽しいこと以外しない。
それでいいと思う。無理に他人に合わせるのは要らない。自分の人生を生きよう。
ちなみに、最近、インディゴ、クリスタル、レインボーについて書きたいことがあるんだけど、それはまた近々。毒舌の友人に言わせれば、そんなの、自己愛という究極のエゴだと評してしまいそうだけど、確かに私もそう思う部分もあったけど、その言葉って純粋に楽しいな、って思うようになってからは、使ってもいいかなって思う。だって、それ楽しいじゃん(笑)自分をラベル付けしないと不安とかそういうんじゃないし。私は三種類とも要素があるそうだけど、他の人にみてもらったらなんて言われるのかな。それも、人それぞれで面白いよね。
ともかくは、
自分が決めてしまってよいのよね。