最近、つくづく思います。
『これから先』
に進む為には、
『笑い』
が必要なのだと。
それは、決して
『一人では意味が無い』
のだと。


笑いがあってやっと、先に進めるようなのです。それを強く感じます。

何かに対するジャッジや、何かに対する情報ももう要らないみたいです。ただ居るだけでいい、感じるだけでいい、みたいですね。

十人十色のやり方があって、きっと、その人だけのやり方じゃないと進めない時もある。




朝から、まだなのか!ってほどの混沌を抱えて出勤。それほどまでに自分は先日の母親とのやりとりに傷を負ったようです。

昨夜のオーラソーマのミニリーディングで、『自分以外のエネルギーが自分に悪影響を及ぼすと考えてはいませんか?そのエネルギーは、その時に発せられる必要があったから発せられている。もっと客観的にみてみるとよい』と、いうアドバイスがでました。つまり、その逆も言えるのだと思いつきました。私にも、これは、今、発する必要のあるエネルギーなのではないか、と。

それならば、と、感激して放置してみたのですが、いかんせん、場所が病院なので、野放しにもできない。よけいなものがあとからあとから湧いてきて、強制終了。

ともかく、空からのエネルギーが今日は重いのか、グラウンディングが出来ていないのか、ハートが閉じかけているのか、とにかく滞りがあるようで、身体が重い重い。恐らくすべてなのでしょう。


そんなこんなで、喜びをもって、軽やかになんていられる日ではないようなのです。それならば、無理にコントロールせずに、自分をいたわればいのかな。完璧である必要などないのだから。

でも、その中で、ふと気づいたのです。結局、今、親子関係を修復させようと動いたところで、お互いに深い傷のままなので、ただ傷を深くするだけ。時期ではないのだと思う。こんなに一生懸命良くしようとしたって、つまり、ただの分離不安と同じなのでは?親離れができていない証拠?
それに、潜在意識では、私は、親の言う通りにできないことへの罪悪感から、もう私をコントロールするのはやめてくれ、って感情が爆発しているのではないか。ならば、もう、良い子に生きる必要はないのだから、親がどう言おうと、不和のまま、そのままだっていいじゃないか。

つまり、
私は、私の人生を歩んでいい。

親は親で勝手にやりますからね。
私は私で勝手にやります。
それぞれに、道を選んで、成長してゆけばいいのではないか?
お互いに過干渉に、ドロドロと繋がって動いても、それはお互いの為にはなりません。依存は相手の成長を奪うことにも繋がります。


つまり、ここにきて私がするべきは、親離れ?自分で自分の人生を選択する第一歩?

だって、これからは、自分で、自分の人生を選ぶどころか、家族を創ってゆく必要がある。私は相方と一緒に、新たな生活を創ってゆくのだから。

そのための覚悟なのかな。


そう考えると、もうそろそろ、笑うことを思い出そうかな、と思いました。その覚悟さえできれば、あとはもうなんにも要らないのだから。

そう、
もうなーんにもいらない!

決ーめたっ!!


その問題の中身など、
あまりたいしたことではないのかもしれない。
その時、どんな状態でいられるか。
自分で自分の状態を選択できるかどうか。


シャボン玉に覆われていた世界。
空へ舞い上がっていくシャボン玉。
弾けて、視界はクリアになって、
頭上には青い空が広がりました。




夏至の日のブログを読み返して、笑ってしまいました。
楽しみや喜びをもって向き合って良い、って、自分で書いています。さっそく出来ていませんでしたね。そのおかげで、危うく沈みかけていましたが、どつやら浮上できたようです。

心のしたいこと、
を素直にやってしまってよい。
それは、ある時にはとても難しいのです。それは、その闇に止まろうとする潜在意識が邪魔をするからなのかもしれません。心地よい未来へ進むのを、嫌がってただをこねている状況なのかもしれませんね。私のわがままを聞いてよ!って具合に。それを十分に聞いてあげないと先に進めないのなら、時間をかけて聞いてあげてもいいけど、それよりも、もっと楽しいやり方がある。

自分の心の闇を敵だと思って排除しようとするうちは、まだ向き合えていないのでしょう。その闇を、迷える幼い子どもだと思って自分の光で包み込んであげる。勿論、それができることに喜びをもって行うことができれば、次に進むことができます。

昨日のそれは、大きな闇が絞り出されてしまった結果であって、その時の対処方法は、なにも難しく考えなくてもよいよ、という学びだったのかもしれませんね。


近頃は、浮かび上がる過去の自分の哀しみを癒す、という作業に追われています。暫くはこれが続きそうです。その度に、心身が魂が軽くなってゆくのを感じます。
オラクルカードをひいたら、感謝する、というメッセージが出てきました。そこでいろいろ試してみた結果、今のここまで頑張っている自分に感謝する、ということのようでした。
よく頑張ったね!

子供は、親を成長させる為に、その親の子供として生まれてくるといいます。でもきっと、そばにいるだけで、親は幸せを感じるのでしょうね。反対に子供は親を選んで生まれてくるといいますが、その形がどんなふうになろうとも、例え、子が笑顔いっぱいになろうが、涙だらけになろうが、その親を選んでくるといいます。受胎するその時に、様々な決心をしています。(まぁ、忘れてしまうのですがね。それも学びのためです。)


尊敬する人に、なんでも親の為にやってしまったら、親の成長を奪ってしまうことになるのよ、と言われたことがあります。


何度も何度も繰り返すやりとり。
つまりこれは、方法を変えなければ、解決はしない、ってこと。


私が何をこんなに不満に思っているのか、冷静に考えてみました。そうしたら、古い価値観を押し付けられる、というところにたどり着きました。
私の親は、同級生の親よりかなり年上です。晩婚でしたからね。そのせいもあるのか、昔から本当に苦労してきました。私が幸せになろうと進んでいる方向を、ことごとく封鎖します。

昔の人は、特に昔の日本人は、とても律儀で礼儀正しく、慎ましやかで、自己犠牲を美とする習慣があります。その人たちは、そのやり方で当時の社会を築き、今がある訳です。そこは多いに感謝するところです。過去、人々がちゃんと生きてくれたから、今がある。そこには、人を思いやる気持ちがしかとあるのです。つまり、言ってしまうと、苦労をしないと幸せは得られない、という時代でした。

けれど、今は平成。物の豊かさがあります。おかげで時間の豊かさにも恵まれています。ならば、苦労をしなければ幸せになれない、なんて、その価値観を今に当てはめて生活するのは、とてもナンセンスな話なのです。物質的な豊かさを手に入れるため、心まで疲弊させて、やがては、豊かさは物質によって得られる、という価値観が蔓延ってきています。そう、きっと、人々は変わる時期なのです。

苦労しないと幸せになれない世界から、笑顔のままで幸せになれる世界に移行する為に。

その為には、尊敬する方の言葉をお借りしますが、『自分で自分に関わることを選択するということを決めるという選択』をする必要があるのです。


話を戻します。
私は昔の考えを押し付けられるのが嫌いです。それは、もっと人々が幸せになる素敵な方法を知っているから。とどのつまり私は、昔の人間「バイオレットさん」たちも、「藍色さん」や「パールさん」「虹色さん」その他大勢の様々な色の人たちすべてひっくるめて、幸せになってほしい。

そこで思い出すのは、ヘルパーの授業。「高齢者は私たちの人生の先輩です。一人の人間として尊敬の念を抱くのは勿論、介助にあたるときも、学ばせていただくという謙虚な気持ちを忘れてはなりません。よって、様々な生活様式や価値観が例え私たちと違っていても、私たちの考えを押し付けるのではなく、まずは受け入れ、その人の人生を尊重する意味でも、そのままの通りの生活ができるように援助することが大切です」とのこと。この言葉は何度もレポートに書いたので覚えてしまいました。
でも、これはあくまで仕事、介護というサービス業におけるマナー。

じゃあ、親子においては?

自分の価値観だけを受け入れるだけではなく、相手の価値観も認めて、勿論自分の価値観も肯定して、それで妥協点が見つからなければ、そのまま並行でもいいのではないか。と。だって、お互い、幸せを目指していて、方法が違うだけ。そこで、なんの間違いがあるというのか。

まぁ、私も頑固なので折れませんよ(笑)昔、小さいころに、親にハサミをもって来いと言われ、ぐずくず嫌がっていたらめちゃくちゃ怒鳴られ時には平手打ちされました。親の言うことはきくのは当たり前なんだから!と。きっと、親の言うことを聞く良い子に育てる、そんなしつけだったのかもしれませんね。けど、今の私が考えると、あれはまるで奴隷のようでした。なんでもかんでも親の言う通りにさせられ、私の意思はないものとされ、良いこに育てあげられ、思えば家事以外の雑用も私があくせく走り回っていました。親は子を育てるいうけど、時々は洗脳にもなり得ます。

確認するけど、
やり方が違うってこと。
愛あるやり方でも、人間は育つのよ、ってこと。
今の小さな命たちは、バイオレットの世代より、ずっとずっと、魂が進化していますからね。

そういう時代なのです。


それがわかって、なおかつ、私が親に嫌悪を抱くとしたら、私のことを受け入れて欲しいという、基本的な承認欲求もとい、通常、子が親に見せる甘えなんでしょうね。親子だからこそ、できるわだかまりが、そうさせるのでしょう。

普通の親子関係はできないよ。
そう、とある尊敬する方に言われてホッとしたのも、つい四月のこと。ならば、諦めます。与えてもらえ無いのなら、自分で自分に与えます。

まさか、この前決めた覚悟が、今こうやって試されようとは…(笑)

そして、こんな風に荒波がたった時、どうやって心を落ち着かせるか。そして、その時感じたことを事細かに覚えていれば、同じ悩みを持つ人に未来で出会ったら、アドバイスができるってこと。

そこで、こんな風に辛い困難に出会った時は、まず、頑張っている自分にありがとう、と言います。そして、この困難ときう機会に出会えたことにもありがとう、って言う。もし、支えてくれている人がいるのなら、勿論ありがとう、って言う。そして、冷静になれたところで、一方的な感情の押し付けをしない大人の心で、ゆっくり考えてみればいい。


これ以上、おんなじパターンで親と苦しむのなら、それはもう、過去の感情の再体験をしているに過ぎないのだから、いちど全て捨てて、新たな方法を立て直すのがいいのね。そこから、私に何の学びが用意されているのか。

女性は嫁いでしまうと~うんたらかんたら、という話がありますが、この辺はまだちょっとわからないので、別の機会にするとして。



親のカルマをあえて背負うことはない。自分のカルマに向き合う時。
今はそういう時期。
だから、この問題も、未来の成長した自分なら解決できるかもしれないわけで、ようするに、『時期』というのを待つことが最善みたいですね。


私が出した決断にどんな結果が待ち受けているのかわからないけど、結果よりも何をするかよりも、どんな気持ちでそれをするかの方がよっぽど大切なわけで。

自分の人生は自分で決める、つまりどんな選択の結果も自分の責任というわけ。その結果が苦しかろうが楽しかろうが。その覚悟が必要。

みな、自分の人生を生きる、という時代になってきています。そうでなければ、この先の未来は、とてもとてもキツくて、闇に逃げてしまう人がたくさんいることでしょう。時はもう動き始めています。
だからどうか、『自分の人生』を生きて下さい。


私に今必要なのは、笑い、と、愛される自分を受け入れること。

そして、この経験がいつか必要になる時がやってくるでしょう。