オーラソーマB110
を先日注文しました。数日で届くかな。セッションは近くの美容室のお姉さんに受けたのとがあるけれど、購入するのは実は初めてです。ボーナスも出たし、買ってもバチはあたらんだろう、という貧乏グセで購入(苦笑)
ははは、こういうところから意識を変えていきたいものです。
このボトルは最近できたばかりのうまれたて。見た瞬間、これだ、って思いました。買うに踏み切ったのは、このインスピレーションがあったからかもしれない。
今週の水曜日は夏休みその一で、レインドロップを受けてきます。お初ですからね。これを受けたインスピレーションから、ヤングリビング社のアロマを買おうと思ってます。
やりたいことは、リストにして、計画的にやってゆく、というスタンスに変えてみたのですが、どうやら、うまくいきそうです。これなら変な罪悪感もないし。良い練習かな。
ちなみに、日用品と化している、パワーオブフラワーヒーリングエッセンス「Cat's Ear」×と、コルテPIHの
「デルフスプレー」も注文。デルフはいつもエッセンスだけど、今回はスプレーでお試し。職場でいろいろすり減らした後は、お部屋にいる間はちゃんと身体を休めていたいしね。
ところで、30日の午後くらいから、太陽風が600台半ばがずっと続いているせいなのか、不整脈からはじまり、内臓が振動してみたり、とにかくうつうつとだるかったり、遠慮願いたい状態が続いています。……慣れてしまいたいものですね。
昨日はお台場に行ってきました。
そこで、「日本科学未来館」に立ち寄りました。
私はヴィーナスフォートより断然こちらです(笑)
相方も、宇宙のことがみれるなら、と言ってここが目的地のひとつになりました。
見上げるほどの大きな地球儀があって、たまたま上映時間に遭遇したので、地球の神秘の話をみることができました。生まれてから、今に至るまでの歴史と、その生態系を。
感動しました。
地球って生きてるんだなって。
宇宙からみた地球は、確実にひとつの個性、として、その光を輝かせて生きていました。
半分が光っている時、もう半分は暗闇の中。つまり、昼と夜。陰陽があってひとつ。
光と闇はもともと一つ。光はただ、何かの姿を表現する方法の一部でしかない。
普段は考えることもないですよね。地球が生きてるなんて。毎日の生活をこなすことに精一杯で、わたしたちが今たっているこの地面が地球そのもので、この奥深くでは熱いマグマがうごめいているなんて。生きて振動して、呼吸をしているなんて。雨や風、自然のすべても。
宇宙の中の地球の一部なんだ、
って、考えた。とても貴重な瞬間だった。
心がふるえて、涙がでそうになった。なんだか壮大なきもちになった。
____
美しいものや心が震えるものを見て、こころが愛にみたされて、感謝の気持ちが生まれて、魂が外へ開いてゆく。その状態がとてもベストなんだろうな。何かを守ろうとして、何か決めたその通りに動こうとすると、人間って、魂がだんだん閉じてゆく。先週の体調不良で確信しました。こう決めたらこう動く、って言って、まっすぐに走ってがんばっている姿はとても美しい。けれど、その時に人は忘れてしまうんだな。ひとつのものを選んだ瞬間、それ以外のものを拒絶している、って。何かを見たら、何かが見えなくなってる。そう考えると存在、って、とても尊い。つまり突っ走ってるその状態は、ハートや魂が閉じきってしまうことにもなりかねなくて、その時人は、自分で自分のこころやからだをがんじがらめに縛ってしまっていることが多い。見えなくなって、縛っていることにも気づけない。
だから、どうか、いつだって自分の為に生きてほしいと思う。
自分が自分の為に、本当にハートがしたいこと。
縛っていない、魂を奮い立たせているわけでもない、ありのままの姿。
自分とそれ以外の人のハートがしたいことって同じこととは限らない。だからそれを互いに縛り付けないで、ありのままの姿で、ふれあう。人と人が違うことを恐れないで。違って当たり前。方法が違って、たとえ自分にとってその姿が闇に見えても、光に見えても、その人が学ぶべき道を自分の足で進んでいるに過ぎないのだから、そっと見守りたいと思う。その人の成長する力を奪うのは違うことだと思う。たとえば、自分の進むべき道が自分で見えているのなら、そこにまっすぐ進めばいい。その時の心の輝きの強さが、時にまわりの人の心を動かすから。それくらいでいいと思う。(先週落ち込んでた時に、全然私とは関係のないことで自分の為の自分の喜びを表現している人と話す機会があって、その時に、この人の生命エネルギーの輝きはすごい!なんだか元気を貰ってるみたい。私もがんばろう、って思ったんだよね。だから、いつだって、ただ、自分が輝いていればいいと思うんだ)光の奉仕者、ってあのカタカナのやつは、つまりそういうことなのかな。ただ灯台の灯でいればそれでいい。誰かを助けようなんて、ただのエゴでしかない。もし、喜びで助ける人がいたなら、それはエゴではない純粋な奉仕なんだろう。それがとても心地のよいありかた。
言葉って洗脳にもなるんだよね。私たちの脳は、言葉をもって理解する顕在意識と、無意識の潜在意識がある。多くは、言葉が邪魔していると思う。こうやって言葉を使って伝えようと私はしているけどね。うん、すごくへんな言い方だし、危険な香りもするけれど、私たちが向かっているとされる上昇のための言葉である、アがつく言葉や、人生の目的や使命とか、過去世のなんとかの清算だとか、ぶっちゃけ、このスのつく業界のことでさえ、ぶっちゃけどうだっていいんだ。そう、どうだっていい。なくてもいい。そういう言葉って、言葉にした瞬間、わたしたちのハートをとっても邪魔している気がするんだ。そうなろう、そうなろう、って、がんばる心は輝かしいし尊いし、とても尊敬するけど、いつの間にか、わたしという存在の自由を奪って傷つけているんだ。まるで自己否定しているかのように。そうしよう、そうしよう、って震える心は、いつしか、私自身を見つめることから遠ざかってはいないかな?(これは一部に言えることかな。少し前の私とかね)
ハートが喜ぶことだけしてればいいと思うんだよね。
まあ、この重力のある現実世界じゃ、たくさんの人がいて、関わってゆく中で、いつの間にかそうもいかなくなってるものだけど、その状態になるためにリフレッシュしようとする『選択』くらいはできるでしょう。
ははは。最初から私のこころにはちゃんとあった考えなんだけど、この業界とか、アのつく言葉とかぶっちゃけどうでもいいんだよね。だって、誰かに言われなくても、私はいつだって最善の状態を選択しようと、今を生ききることに、まっすぐだから。それの結果が、アのつく言葉になるならそりゃよかったねわはは!ってやつで、ならなきゃそりゃ残念!って感じだから。いつだって、私はまっすぐだもの。ただそれだけでいいんじゃない?
その時に関わっているのがこの業界だった。これは純粋に感謝したいと思う。
好きよって声に出して言うよ。
なんでもかんでもヒーラーになることがすべてではない。どこか違う世界に楽園をつくるわけじゃない。この地球の、今わたしがいるこの場所に、楽園をつくる、とは言ったもので。それって、つまりこういうことなのかな、と私は考えます。ぶっちゃけ、この業界を知らないで、今をちゃんと生ききっている人の方が、よっぽど心地よい波動になっていることもあります。私は、私のまわりにいる、自分にまっすぐな人を尊敬してます。それがどんな選択をしようが、どんな道にいようが、タイプだろうがね。
_______
今年の秋冬にはレイキを1から3までうけてきます。それはじぶんの為にね。昔は世界のために、誰かのために、なんて思ってたし、使命が~とか思ってたけど、そんなの知ったこっちゃないわよ(笑)。私は私を生ききるから、その姿が何かひとつのあかりになっていることができたら、それで十分じょうできだと思うもの。
そんな自分を観察していると、さすが自他ともに評する根性ある人間、つまり頑固だなと思う(笑)。たぶん、こういう部分は虹色が含まれてるっていうあたりなのかな。癒すとかも大切だけど、最近は、笑ってる方が、よっぽど性に合うんだ。これから先、笑いの世界がくればいいなって、常々思う。
でも、そこまでたどり着くのは、とても簡単なことではなくって、だから、そのことを忘れてはいけないってこと。笑うっていうのは、それは中身もたいせつってことね。もちろん、自分だけよくって他のことはどうでもいいなんて、そんなことは最初から言ってないからね。
________
地球って生きてるんだな、っていう壮大な気もち。
光も闇も、実はひとつの生を表すひとつの方法に過ぎないっていう、
私たちが起源に置いてきたワンネスの心。
それを思い出すたびに、じぶんのありのままの姿に戻れるような気がする。
だから、時々思い出そうとしようと思う。
いつもずっとそんな心持ちでいることはどうしてもできないからね。
光と闇があるから進めるんだもの。
すべての光の奉仕者へ。
こんな生き方をしてるひとがいるって知ってもらえたら、それで私は幸せです。
そこで、「日本科学未来館」に立ち寄りました。
私はヴィーナスフォートより断然こちらです(笑)
相方も、宇宙のことがみれるなら、と言ってここが目的地のひとつになりました。
見上げるほどの大きな地球儀があって、たまたま上映時間に遭遇したので、地球の神秘の話をみることができました。生まれてから、今に至るまでの歴史と、その生態系を。
感動しました。
地球って生きてるんだなって。
宇宙からみた地球は、確実にひとつの個性、として、その光を輝かせて生きていました。
半分が光っている時、もう半分は暗闇の中。つまり、昼と夜。陰陽があってひとつ。
光と闇はもともと一つ。光はただ、何かの姿を表現する方法の一部でしかない。
普段は考えることもないですよね。地球が生きてるなんて。毎日の生活をこなすことに精一杯で、わたしたちが今たっているこの地面が地球そのもので、この奥深くでは熱いマグマがうごめいているなんて。生きて振動して、呼吸をしているなんて。雨や風、自然のすべても。
宇宙の中の地球の一部なんだ、
って、考えた。とても貴重な瞬間だった。
心がふるえて、涙がでそうになった。なんだか壮大なきもちになった。
____
美しいものや心が震えるものを見て、こころが愛にみたされて、感謝の気持ちが生まれて、魂が外へ開いてゆく。その状態がとてもベストなんだろうな。何かを守ろうとして、何か決めたその通りに動こうとすると、人間って、魂がだんだん閉じてゆく。先週の体調不良で確信しました。こう決めたらこう動く、って言って、まっすぐに走ってがんばっている姿はとても美しい。けれど、その時に人は忘れてしまうんだな。ひとつのものを選んだ瞬間、それ以外のものを拒絶している、って。何かを見たら、何かが見えなくなってる。そう考えると存在、って、とても尊い。つまり突っ走ってるその状態は、ハートや魂が閉じきってしまうことにもなりかねなくて、その時人は、自分で自分のこころやからだをがんじがらめに縛ってしまっていることが多い。見えなくなって、縛っていることにも気づけない。
だから、どうか、いつだって自分の為に生きてほしいと思う。
自分が自分の為に、本当にハートがしたいこと。
縛っていない、魂を奮い立たせているわけでもない、ありのままの姿。
自分とそれ以外の人のハートがしたいことって同じこととは限らない。だからそれを互いに縛り付けないで、ありのままの姿で、ふれあう。人と人が違うことを恐れないで。違って当たり前。方法が違って、たとえ自分にとってその姿が闇に見えても、光に見えても、その人が学ぶべき道を自分の足で進んでいるに過ぎないのだから、そっと見守りたいと思う。その人の成長する力を奪うのは違うことだと思う。たとえば、自分の進むべき道が自分で見えているのなら、そこにまっすぐ進めばいい。その時の心の輝きの強さが、時にまわりの人の心を動かすから。それくらいでいいと思う。(先週落ち込んでた時に、全然私とは関係のないことで自分の為の自分の喜びを表現している人と話す機会があって、その時に、この人の生命エネルギーの輝きはすごい!なんだか元気を貰ってるみたい。私もがんばろう、って思ったんだよね。だから、いつだって、ただ、自分が輝いていればいいと思うんだ)光の奉仕者、ってあのカタカナのやつは、つまりそういうことなのかな。ただ灯台の灯でいればそれでいい。誰かを助けようなんて、ただのエゴでしかない。もし、喜びで助ける人がいたなら、それはエゴではない純粋な奉仕なんだろう。それがとても心地のよいありかた。
言葉って洗脳にもなるんだよね。私たちの脳は、言葉をもって理解する顕在意識と、無意識の潜在意識がある。多くは、言葉が邪魔していると思う。こうやって言葉を使って伝えようと私はしているけどね。うん、すごくへんな言い方だし、危険な香りもするけれど、私たちが向かっているとされる上昇のための言葉である、アがつく言葉や、人生の目的や使命とか、過去世のなんとかの清算だとか、ぶっちゃけ、このスのつく業界のことでさえ、ぶっちゃけどうだっていいんだ。そう、どうだっていい。なくてもいい。そういう言葉って、言葉にした瞬間、わたしたちのハートをとっても邪魔している気がするんだ。そうなろう、そうなろう、って、がんばる心は輝かしいし尊いし、とても尊敬するけど、いつの間にか、わたしという存在の自由を奪って傷つけているんだ。まるで自己否定しているかのように。そうしよう、そうしよう、って震える心は、いつしか、私自身を見つめることから遠ざかってはいないかな?(これは一部に言えることかな。少し前の私とかね)
ハートが喜ぶことだけしてればいいと思うんだよね。
まあ、この重力のある現実世界じゃ、たくさんの人がいて、関わってゆく中で、いつの間にかそうもいかなくなってるものだけど、その状態になるためにリフレッシュしようとする『選択』くらいはできるでしょう。
ははは。最初から私のこころにはちゃんとあった考えなんだけど、この業界とか、アのつく言葉とかぶっちゃけどうでもいいんだよね。だって、誰かに言われなくても、私はいつだって最善の状態を選択しようと、今を生ききることに、まっすぐだから。それの結果が、アのつく言葉になるならそりゃよかったねわはは!ってやつで、ならなきゃそりゃ残念!って感じだから。いつだって、私はまっすぐだもの。ただそれだけでいいんじゃない?
その時に関わっているのがこの業界だった。これは純粋に感謝したいと思う。
好きよって声に出して言うよ。
なんでもかんでもヒーラーになることがすべてではない。どこか違う世界に楽園をつくるわけじゃない。この地球の、今わたしがいるこの場所に、楽園をつくる、とは言ったもので。それって、つまりこういうことなのかな、と私は考えます。ぶっちゃけ、この業界を知らないで、今をちゃんと生ききっている人の方が、よっぽど心地よい波動になっていることもあります。私は、私のまわりにいる、自分にまっすぐな人を尊敬してます。それがどんな選択をしようが、どんな道にいようが、タイプだろうがね。
_______
今年の秋冬にはレイキを1から3までうけてきます。それはじぶんの為にね。昔は世界のために、誰かのために、なんて思ってたし、使命が~とか思ってたけど、そんなの知ったこっちゃないわよ(笑)。私は私を生ききるから、その姿が何かひとつのあかりになっていることができたら、それで十分じょうできだと思うもの。
そんな自分を観察していると、さすが自他ともに評する根性ある人間、つまり頑固だなと思う(笑)。たぶん、こういう部分は虹色が含まれてるっていうあたりなのかな。癒すとかも大切だけど、最近は、笑ってる方が、よっぽど性に合うんだ。これから先、笑いの世界がくればいいなって、常々思う。
でも、そこまでたどり着くのは、とても簡単なことではなくって、だから、そのことを忘れてはいけないってこと。笑うっていうのは、それは中身もたいせつってことね。もちろん、自分だけよくって他のことはどうでもいいなんて、そんなことは最初から言ってないからね。
________
地球って生きてるんだな、っていう壮大な気もち。
光も闇も、実はひとつの生を表すひとつの方法に過ぎないっていう、
私たちが起源に置いてきたワンネスの心。
それを思い出すたびに、じぶんのありのままの姿に戻れるような気がする。
だから、時々思い出そうとしようと思う。
いつもずっとそんな心持ちでいることはどうしてもできないからね。
光と闇があるから進めるんだもの。
すべての光の奉仕者へ。
こんな生き方をしてるひとがいるって知ってもらえたら、それで私は幸せです。
スーパーのおつりで、5円がぞろぞろとでてきて、店員さんがえ、っと言う驚きと一緒に申し訳なさそうにすません、と。いいえ~とにこやかに答えて内心笑ってしまいました。時々いたずらをしてくれますね。
555もなかなかいい数字ですしね。
555もなかなかいい数字ですしね。
今日は金曜日。こんなに朝早く起きるのも、仕事をするのも、睡眠不足なのも今週が最後だと思うと、心はフリーです。おはようございますなつかです。最近は時間が欲しいという感情すらなかったことに気づいたので、どれだけ麻痺しているのかぶるっとしました。
朝、家のドアをあけたら、犬がこっちを見ていて、反射的にびくっ!ってしてしまって、続いて出てきた飼い主と目が合った時には、自分の動きの恥ずかしさに、わけのわからないことを呟いてしまいました。なかなかないぜ。いる筈のない犬が居て、目がバチッて合うとかね。犬には『なんでお前がここにいんだよ。お前なにもんだ』と言われた気がします。ずーっとガン見されたので、何があってそんなに見てんのよ!と内心思いましたが、慣れてない犬だったので恐怖だけが大きかったです。まぁ、いきなりドアがあけば、犬だって吃驚しますわね。
今朝方不思議な夢をみました。メッセージというより、どこかの記憶に繋がった感覚がしました。職場でのある人との人間関係に役立ちそう。
最近はPMSより排卵痛の方が酷くて、昨夜もアロママッサージをしたのですが、ヤングリビングじゃなくて普通の生活の木でも、身体がぴりぴりしたりほわほわしたりすることが判明。直接じゃかくて外見のボトルを近づけただけなのに反応するので、選ぶ時に便利だわ。
と、今回は鎮痛剤を使わないでいきたいところ。子宮のあたりが破裂しそうなほど張っていて、たしかに、第2チャクラ不全だなぁと、自分の感覚が鈍っているという冒頭に繋がります。
創造に時間を割こうかな。
そういえば、さっきバス待ちの時、カラスが変な鳴き方してました。どっか雨凄いのかな。お返しに、くわぁ、って鳴き返しておきました。誰も居なかったから大丈夫。
